「少女支配」



日本に古来から存在する諺で、昭和まではたまに使われたものの、平成、令和の時代には全く使われなくなった諺を一つ紹介しておこう・・・。

「小さな袋には気を付けろ」
言葉の額面通りに解釈するなら、見かけは小さな袋だと思っていても、意外に多くの物が入るものだ、或いは小さいからと言って中身が安全な物とは限らない・・・と言う事になるが、これだと諺としての意味が不明瞭だ。
簡略に言うなら「女に気を付けろ」と言う事だが、ここで出て来る女とは小さな袋、「幼い女」「少女」を指している。

大きかろうが小さかろうが袋は袋だと言う意味であり、幼かろうが年増だろうが基本的に「女」である事に違いなく、その意味では幼い女、少女であっても基本は女だから油断してはならないと言う話なのである。

万葉集の第一番歌に「雄略天皇」(ゆうりゃくてんのう)の歌が出てくるが、詳細は「日本書紀・雄略記」を見ればもっと明白となっている。
三輪を流れる大和川で衣を洗うを美しい少女、この場合は10歳より下だったのではないかと思うが、少女を見た雄略天皇は名前を尋ねる。

同時代名前を明かすと言う事は、服従、関係依頼を意味する事から、相手が天皇で名前を聞かれたと言う場合は「お前の事が気に入った」と同義の可能性が高く、それに対して少女は「引田部赤猪子」「ひけたべの・あかいのこ」だと答えます。

記録されている話ではこの後、雄略天皇は赤猪子にいつか后にするから嫁に行かずに待っていてくれと言っていますが、現実には雄略天皇が少女に名前を尋ね、少女が名前を応えた時点で「お前の事が好きだ」「承知しました」は既に成立している。

それゆえ無粋な説明部分は本編に追加記述したものの可能性が高いが、話を元に戻すと、雄略天皇は少女を口説いてから、内裏に帰ってしまうとその事を忘れ、80年の歳月が流れてしまう。

すっかり昔の事など忘れていた雄略天皇、しかし少女は約束を忘れてはいなかった。
80年待っても来ない天皇を訪ねて、老婆になった少女がやって来るのである。
「あの時の約束はどうなったの?」
「あっ、忘れていた、済まない・・・」

この話は万葉集にも出てくるから、ある種歌としての意味合いを考える人も多いが、その現実は当時流行していた少女愛に対する戒めだったと言われている。
どうもこの5、6世紀には幼い男の子、幼い女の子に対する恋愛観が蔓延していたものと見られ、これを戒める意味で「引田部赤猪子」の逸話が記された可能性が高い。

そしてこうした幼い女の子に対する恋愛観はその後も後たたず、江戸中期には「小さな袋には気を付けろ」と言う諺に引き継がれる訳である。

我々大人と言われる年代の人間は少女をなめてかかっている可能性が有る。
高校生だから、中学生だからと言うが、現実に陰湿ないじめは小学校から始まっているいるものであり、スマホやインターネットで全て大人の世界も見ている、形は子供だが内容は大人、もしかしたらそれ以上が少女の可能性もある。

元禄時代には12歳、13歳の少女が体を売って親を養っている記録が残っているが、この少女達を目当てに30歳、40歳の男達が血道を上げていた現実に鑑みるなら、一定の厳しさを持つ環境に在っては、小学生だろうが50歳だろうが、その中で生きて行こうとすれば、相対する者がそれを女と認識した時から、同じ効力を有する。

この場合30歳、40歳の男が十代前半の少女から支配を受ける場合が出て来る。
弱さや幼さ、厳しい環境を介して、少女本人もそれと気付かず、支配を受けている男も気付かない間に進む支配。
形は男の監禁や誘拐なれど、本質はその弱さや脆さに拠って引き起こされる少女の微弱な支配・・・。

国家が衰退し、民衆の中に希望が失われ、社会モラルが低下し、貧しい者が増えてくるこれからの日本に措いては、雄略天皇の時代を笑えない。

美しいや素晴らしい、或いはかわいそうから同情まで、事の本質は被支配の一つであり、少女支配は形に見えない状態で増加し、その支配を受ける男のパターンは、社会に一定の距離を持ち、正義感が強く優しいが現実の力を持たない男が陥り易く、やがて理想が目の前の現実に追いつかなくなると共依存を経て、破綻した男の暴力や監禁支配に転じて行く可能性が高い。

1600年も前から、少女には手を出すな、気を付けろと言われ続けていて、少女の誘拐や監禁が後を絶たない令和の時代、既に諺としては消えてしまったが、今一度ここで言って措く、あらゆる意味で「小さな袋には気を付けろ」
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「逆表現否定法」



NOと言う表現は否定形の最上級では有るが、この世の中にはNO以上の否定形が存在する。
その否定形の表現は「YES」である。

決定的に馬鹿にされるより、「フン」などと小馬鹿にされる方が、正面切っての愚弄より遥かにダメージが大きいのと同じように、否定形の至高と言うものは、実は中間から「YES」の方に傾いているものであり、この場合「YES」の後に「本当はYESじゃないんだけど仕方なく・・・」などが付帯すれば完璧と言える。

また「YES]の後に取る態度や行動が「NO」の場合もこれに同じである。
ただし、こうした表現方法は絶対やってはいけない表現方法でも有り、特に意見が2分している状況でこうした表現を使うと、「YES」の意見の者にも「NO」の意見の者にも、相互に反対意見が表示される事になる為、自身は孤立する事を覚悟しなければならない。

つまりこうした逆表現否定方式は、自身が真実支持している側にも、敵側にも不信を与える事になるでのであり、利害と言う観点からすると全方向に対する損失を生じせしめる。

為に同じ下げる頭なら深く下げることが望まれ、この相対に「敵を欺くなら味方から・・・」の孫子兵法が存在する。

「YES」や「NO」は一つの表現方法であり、必ずしもこれに現実を一致させる必要は無い。
戦略としての「YES」「NO」は道具であり、後にこの言葉を生かすのが敵になるか、或いは自身になるかの分岐点は、感情で使ったか、利で使ったかに拠って違ってくる。

本当は「NO」なんだけど「YES」ですと言う使い方は、自身の本音が露見しただけ、敵に用意の機会を与える事になり、自分の言葉に拠って後に敵に使われる。

反対に「YES」と言って誠心誠意これを全うしながら、いずれ機会を狙って準備すれば、敵を油断させて殲滅の機会を得る可能性が得られる。
自分の言葉を自分が利する為に使う事になる訳である。

こうした事に鑑みるなら「YES」「NO」いずれにしても、広義では言葉に付帯の多い者は危うくなり、言葉が少ない者は信に近い事になり、古来より言葉の多い者の言葉は信じられないと言う教訓が、現実的に肯定されるのである。

そして否定形の「YES)が存在するの同じように、肯定形の「NO」もまた存在する。
どう考えても「YES」であろうとしか方法が無い時、敢えて「NO」と言い、その後に、今は致し方なく「YES」と言う以外に無いと言う表現を使えば「限定された信」を得ることが出来る。

この表現は相手の力に屈した事を意味し、尚且つその屈した形には期間が有る事を相手に伝える正直な言葉と言える。
こうした言葉は敵味方双方の信を得易く、たまさかその時は敵対したが、後に場面が違えば「人間的信」を得た分だけ、状況に応じて敵を味方にできる場面が出て来るかも知れない。

「YES」の否定形、「NO」の肯定形は近いように見えて、その効果は逆転する。
一般的には「NO」を肯定形に使う者は信じられる。
しかし裏を返せば、こうした場面で「NO」を肯定に使える者の力量、経験は「YES」を否定形で使う者と比すことが出来ない程大きなものだ。

私なら「NO」を肯定に使う者を信じながら、恐れる・・・。

「転声人誤」(てんせいじんご)



たまには巷(ちまた)の話を記事にするも苦しからずか・・・。

日本と韓国で話題彷彿の「GSOMIA」「軍事情報包括保護協定」だが、毎年更新で、更新しない場合は90日前に破棄を通知する義務があり、協定を破棄する場合は8月24日までに相手国に通達しなければならない。

そして韓国は8月22日、協定の破棄を日本に通達した訳だから、既に包括保護協定は破棄されている。
これを今になってから条件付で延長と言う議論は既に手遅れの話であり、簡略な例で言うなら会社に辞表を出した後、残務整理途中で条件に拠っては残ってやっても良い、などと言う話が通用するか否かと言う事だが、日本のメディアと韓国政府はこれと同じ議論をしている。

破棄は韓国が8月22日決定して日本に通達した時点で成立している。
これに拠ってアメリカと韓国の関係がどうだ、こうだは日本に関係なく当事国同士で解決する問題となる。

包括保護協定破棄は韓国政府が決定したものであり、それに拠って生じる影響は韓国が負わねばならないもので、日本が協定延長に関する干渉を行えば、内政干渉となる。

協定の破棄90日前に通達、この90日は事務手続きの期間であり、この期間に見直す破棄決定など軍事協定では有り得ない。
後に見直す決定など、以後は如何なる決定も見直される可能性が出て来る為、その国家の決定意義は消失する。

包括保護協定の延長議論はそもそも矛盾している事を指摘しておく。

次に総理大臣の花見だが、1国の総理が人を招いて花見をした程度の事で大騒ぎしている場合だろうか・・・。

日米通商交渉では日本に取ってかなり厳しい条件が突きつけられている。
アメリカ合衆国のトランプ大統領は弾劾間近まで不正で追い詰められている。
来年開催のオリンピックは問題続きで、経済対策に至っては完全に無策状態であり、日銀は相当苦慮しているだろう。

1国の総理だから、例え1億円使っても構わない、たまには好きな事をやるも良し、国民も総理に花見をさせてやるくらいの度量を持たねば、良い政治など期待できないのでは無いか・・・。

むしろ問題は花見ではなく、その後の言い訳であり、ホテルのせいにしたり、人のせいにしたりするのは褒められない。
他者に迷惑をかけないように、「すべて自分がやりました、済みません」として置けば、他者が追い詰められる事態は防げる。

国家の代表だから、例え建前としても自身の人間性は謳って措くのが指導者の立場と言うものだ。
人間性や人徳は法ではなく心得だから、守れなくても良いが、それを守ろうとする努力をしてもこれが担保される。
政治的に能力の無い者は、そうした努力だけでもして置くと良いように思う。

最後に一点、実はこの数日前、11月18日、家のトイレ付近で小さな「ムカデ」を見た。
この時期にムカデを見るのは生まれて初めてであり、10月の初めにはもう姿が見えなくなるを通常とするなら、今年は例年になくこの地方の気温が高い事が感じられる。

来年、年が明けてから早々、何か良からぬ事が起こらねば良いが・・・、と思う。

「未必債務」



兼ねてより念願のBMWX1を購入する事にした高木さん(仮名42歳)、早速ディーラーの超低金利ローンを組むことにし、書類に記入を始めたが、担当者は何気なくこんな事を尋ねた。
「高木さま、一応念のためなのですが、不動産などの資産はお持ちでしょうか・・・」

「はあ、数年前に両親が亡くなり、田舎の家と山林を相続しましたが、それが何か?」
高木さんは両親がなくなってから故郷で400坪の土地、建築面積200坪の実家と、4haの山林を相続していたが、もしかしたら担保にでもしてくれと言うのだろうかと、一瞬不安になる。

だが事態は高木さんが考えた以上に深刻な方向へと進んで行った。
「高木さま、申し訳ございませんが、当社のローンが使えない恐れが有りますので、審査が必要になりまして、4、5日お時間を頂けますでしょうか・・・」
と、言う事になってしまったのである。

これには流石に温厚な高木さんも思わず声が大きくならざるを得ない。
「えっ、どうしてですか、不動産を持っていたら信用でも落ちるのですか!」

「高木さま、申し訳ございません」
「ここだけの話なのですが、現在当社では人口5万人以下の地方市町村で所有される資産は「未必債務」に換算されるのです」

「未必債務、それは何ですか初めて聞きますが?」
訳が解らない高木さんは若干怒り気味でディーラー担当者に詰め寄るが、それに対し弱ったなと言う顔で担当者が説明を始める。その内容とはこうだ・・・。

現在人口5万人以下の市町村での土地取引は殆ど停止状態であり、税務上の評価額は存在しても買い手が誰もいない。
加えて住民の高齢化で資産である土地の管理も出来ない状態、草が生えてもそれを刈る事も出来ずに放置されたままになっている。

簡単に言えば、くれると言われても迷惑な状態までになってしまっていて、大きな家でも建っていようものなら、その撤去費用は最低でも200万円、場合に拠っては500万円かかり、台風などの災害で屋根の部材などが飛んでいくと危険な事から、行政から管理徹底以来が頻繁にやってくる。

この管理維持費用が年間30万円とすると、10年間売れなければ300万円、後になればなるほど管理費用は高額なっていく。
200坪の家屋は所有しているだけで、将来500万円の撤去費用が確実に必要となり、プラス10年間所有したら300万円が必要になり、合計が800万円の支出となります。

しかも唯で貰ってくれと言われても、それを管理することもできない状態では買い手はいない。
一度所有してしまうと生きている間は絶対逃れらず、子供にも同じ迷惑をかけていく事になる。

それゆえ高木さんの場合、預貯金が200万円、それを頭金にしても300万円ほどはローンを組むとして、これだけなら仕事もしているから何の問題もないが、5年間のローン返済中、例えば4年目に田舎の家に倒壊の恐れが出て、それを行政が代位執行した時、撤去費用の500万円は一時払いで4年目にやってくる。

加えて年間30万円ほどの維持費用が4年で120万円、200坪の家に火災保険を付けたなら年間20万円ほどだが、災害に被災しなければ保険金は出ない。
何も考えずにいると10年間で1000万円が消えて行き、これが「未必債務」と言うものなのである。

つまり高木さんは都会の感覚で資産は価値と思い、喜々として相続したかも知れないが、田舎の資産、人口5万人以下の市町村に所在する資産は、それを相続しただけで借入金が全くない人に、500万円から1000万円の将来確実な負債が発生したものと見做される訳である。

担当者の説明にがっくり来た高木さん、これまでに延滞のない高木さんは何とかローンこそ通ったものの、田舎の資産に火災保険を付けて年間20万円、管理維持費30万円の合計50万円の年間支出増となり、加えていつ撤去費用の500万円が必要になるか解らない状態で、毎月5万円、ボーナス月10万円のローンを支払って行く事になった訳である。

さてこの話は完全にフィクションであり、「未必債務」も私の造語だが、気が付けば金融関係の書類には「未必債務」と言う文字が一般的になっている日は、そう遠くないような気がする。
何より田舎では既にそれが現実になってきている・・・。

「大きな円と小さな円」



「革命」(revolution)、レヴォリューションは「回転」の意味を持つ。
古代ギリシャの哲学者プラトン、アリステレス、ポリヴュオス等が共通して説いた政体論の中に「政体循環論」と言う思想がある。

この思想は発生直後の古代ギリシャでは衰退したものの、その後中世ルネサンス、文芸復興のおり再度見直される事になり、今日では政体の基本的な事実を現していると考えられるようになっている。

政体循環論に基づくなら、政体は一定数のシステム以上の種類を持たず、大まかには4つか5つくらいのシステムが順番に現れて行く事になるが、「革命」がレヴォリューションと呼ばれる背景には、こうして循環し一巡して繰り返される、政体の円周上移動様式を現しているとも言われる。

だが政体循環と革命は、その多くの場面で一致するものの、本質的には同義ではない。
政体が移行する原因の多くは、その政体が実行した政策に拠って多くの不満が発生し、それを解消する政策を掲げて次の政体がこれを担当するからだが、この意味では確かに全ての政体移行は「革命」と呼べる。

一方今日多くの国家政体は、その政体を移行する事無く、派閥や党と言った同じ政体の中でそれぞれの政策を展開するシステムを持っている事から、政体が移行する事なく政策が移行して行くケースが多い。
この現実に鑑みるなら「革命」とは「政策の移行」を指すことになり、政体の回転は大きな円を描き、政策の回転はその中で小さな回転を描く「革命」と言う事が出来る。

ただし、こうした同じ政体と見られる中でも性質的な政体の移行が存在し、これらの事を総合するなら政体の循環は大きな円、小さな円の2種、同様に革命も大きな円に連動するものと、小さな円に連動するものの2種が存在し、大小4つの円が絡み合って政治が動いていると考える必要が有る。

また革命は現状に対する否定でも有るから、多くの意見がそれに賛同する場合と、ごくローカルな思想が大きな全体を支配する形を持ち、この内ローカルな思想のパターンでは成立すれば革命だが、失敗すればテロ、或いは「カルト」と言う形に押し込められ、これを強行に推し進める場合、それが発生した国家の国民は窮する事になる。

韓国の「文政権」は既に現実条件としての「革命」に突入している恐れが有る。
日本艦船へのレーダー照射から日本敵視政策、次いで日米韓の防衛協定破棄、中国を意識した韓米ミサイル配備への制限、日米外務省敷地内への乱入処理、北朝鮮政策など、あらゆる政策が前朴政権から反対方向へと動いていて、北大西洋条約機構、アメリカ国防総省高等研究計画局では、既に「文政権」がローカルな円の革命条件を満たしていると言うレポートがちらつき始めている。

この「文大統領」が持つ朝鮮半島統一思想は理想では有るが、現状では不可能な事を多くの韓国民、諸外国が認識している。
その意味では文大統領の思想はローカル思想なのだが、このローカル思想が国家権力を得ている現実がもたらすものは、事実の隠蔽とあらゆる虚偽の強行と言う形を持ってしまう。

理想は大切だが、美しく、自身が正義と考える事が全ての人を動かす訳ではない。
人の心を動かすものは「真実の声」と「理解」であり、ここに虚偽を強行する者の理想は成就されない。
つまり「文政権」は韓国国民を不幸のどん底に追い込む「テロ」を発生させている状態に近いと言える。

国際情勢分析上、現実に発生している事象に鑑みるなら、既に韓国は自由主義経済側から中国、ロシア、北朝鮮などの帝国主義的独裁政権国家郡の中に入りつつあると言え、今後あらゆる説得に耳を貸さない状態が続けば、日本とアメリカは極秘裏に韓国の反文政権を支援し、このテロを阻止する大きな円の「革命」を動かす準備をしなければならない。

まあしかし、日本の安倍政権も終わってみれば、国民がテロだったと思う事になるのかも知れないが・・・(笑)

楽如第十一章「命」第三節「信じる者は使えない」



「周易」の初期は「占い」であった事は間違いない。
しかし今日我々が知る「易」の用法が天道の動きから、各々人の指針までに及ぶ範囲を擁しているのは、後の書き加えに拠るものと考えられ、この一番ダイナミックな書き加えは3期在ったと言われている。

占い自体は「殷」(商)の時代から知られているが、この時代既に「干支」の概念が存在した事から、殷の時代か或いはその前、占いは純然とした占いから包括思想を含んできたものと考えられ、これが殷から周への移行期にはかなりの部分が占いと併合し、
周が斜陽に指しかかって来た春秋戦国時代のごく初期には、「基本周易」が完成していたものと見られている。

この意味では孫子も孔子も周易の発展思想だったと言う事になるが、殷の時代から周の時代まで、戦争には「策略」の用法が少なかった。
文字通り「戦は時の運」「数の力」「残虐性」のみに頼っていた為、周末期の戦争では先頭に「祓い」が存在した形跡が伺える。

この「祓い」が後に「楽」へと繋がって行くのだが、戦は天の定めに拠るところなら、天を味方につけねばならず、そこで場を清める意味と、運を呼ぶために打楽器を打ち鳴らし、笛や掛け声で「天運を呼ぶ音」を出す慣習が現れてくる。

この原理は中世ヨーロッパ、ジャンヌダルクなども同じ原理と言え、元々戦と距離のある「女」が神の手となって行く為、その旗を見た途端、敵兵士は神との戦いを意識してしまう用法と同じである。

この「祓い」が神である為には、神の中立性が保たれねばならず、味方の兵士が太鼓を打ち鳴らしていたのでは中立性は薄れる。
よって、戦場には全く関係の無い「女」「子供」がこの祓いを行うことで、神の中立性が担保され、中立な者が我が軍の先頭に立っている事で、該当戦争が神の意思であり、自軍は天意に拠って動いている事を示す意味があった。

この傾向は古代戦に措いて、かなり後期に至るまで慣習として残って行く。
孔子が「礼」と共に「楽」を重んじた、その二重、三重後ろには、こうした背景が眠っているかも知れない。
戦争に措ける「祓い」、太鼓や笛などの「楽」を虐げてはならずもまた、「礼」なのである。

ただしこうした「神」や「天意」を意識し過ぎると道を誤る。
人に道を誤らせるには「神」や「天意」を信じさせる事もまた用法であり、他者にこれを信じさせ、己はこれを使う事を考えたのが「孫子」でもある。

神は己が之に呑まれてはならず、神は自分が使わねばならない。
これが神の力であり、天のご加護の本質かも知れない。

人の世の神や天意と鬼の関係は実に趣深い。
すなわち人に利するか、力の及ばぬものを神とし、人に害為すものを鬼としたが、鬼の概念は過ぎたるものも指す。
役割を負えて尚の未練、死して尚は鬼とも言う。

神や天意を信じる者は之を遣えない。
神や天意を最も良く遣える者は、之を信じない者であり、この場合は遣っている事すら自覚できない。
それを懇願する者のところへは現れず、見向きもしない者にはその隣にいる。

命もまた之を惜しむ者は命を使えない。
惜しまぬ者は命を良く使う。
ただし、これは命を軽んじるに同義ではなく、この事は神や天意を信じない、意識しない事と、これを必要も無く貶める事が同義ではない事に同じ。

「地球温暖化対策と言う宗教」



2019年11月4日、ドナルド・トランプアメリカ合衆国大統領は、「パリ協定」から離脱を宣言した。

この動きは当初から予測されていた事であり、合衆国の利益を第一とするトランプ大統領に対し、各国の論調は粗野で我侭な部分を指摘しているが、私自身もトランプ大統領は好きではないが、意外にも彼は正論も説いている部分が有るので、今夜はこれを紹介しておこう。

パリ協定、正確には「第21回気候変動枠組条約締約国会議」と言うが、1997年採択された「京都議定書」に次いで、2015年12月12日に交わされた、気候変動抑制に関する条約加盟国の会議を指し、ここでは2020年以降のCO2抑制削減目標が取り決められた。

この協定の問題点は4つ、そもそも地球温暖化の原因が人間が排出するCO2量で左右されるものなのか否か、これの検証方法が無い事が1つ。

地球温暖化の要因の1つは、確かに温室効果ガスに拠るものだが、一方でこの効果のおかげで、人間が生きていける温度が確保されている側面があり、他にも惑星アルべド、つまり地球が太陽光を反射する率に起因すると言う一般説が存在し、ここでは地球の温暖化、寒冷化は降雪面積と雲の総量が一番大きな原因となる。

第2は「炭素排出取引市場」と言う、CO2を債権化したような仕組みである。
元々人間社会で価値の想定されていないCO2をキャッシュレス化し、それを取引する方法は、CO2より遥かに現実的なサブプライムローンが、如何なる末路を辿ったかを思えば既に答えが出ている。

破綻が確実なばかりでは無く、経済的後進国は元々CO2排出量が低く、為に後進国ほど努力目標は低くなり、この意味では後進国はいつまでも経済的発展を期待できない状況が発生する。

第3は国連組織そのものの腐食であり、WTO、ユニセフ、ユネスコはもとより、オブザーバーではあるが国際オリンピック委員会など、国際機関のあらゆる組織が今や贈収賄と不正、恣意的運用の温床になっている。
不正は日常茶飯事である。

そして第4にはこうした組織の決算報告書のずさんさで有り、トランプ大統領は何千億もの金を拠出しながら、それがどこにどう使われたかすら解らない。
こんな組織に金が出せるかと言ったのだが、この説は尤もだと思う。

地球環境を考えると言う理想と、人間の運用は必ずしも一致しない。
全ての国の代表が地球と言うスケールでものを考えるかと言えば、まず考えない。
理想は立派でも、それを運用する時は人間の愚かさや醜さを担保する仕組みが必要であり、こうした仕組みの理想が平等や正義と言うものであり、近年の哲学者達が同調する「気候正義」などと言う考え方は、余りにも幼く浅い。

そして人間の社会では「劣化」は必然であり、この劣化を防ぐ仕組みを決めておかないと、CO2は削減どころか、理想とは裏腹に増大して行く。

日本は国連に多額の拠出金を出している。
多くの国が拠出金を払っていない中で、正直にそれを拠出している事に鑑みるなら、予め他の国家より相対的に多くの金を拠出している事から、訳の解らないパリ協定の拠出金は免責を申請するべきだし、それが適わないなら、少なくとも金の使い道くらいは明確にする条項を認めてもらう必要が有る。

欧州の左派強行主義者は既にパーソナル障害の領域に達している。
サイエンスカルト程度の科学を振りかざして危機を煽り、秩序の口を塞ぐはカルト宗教の領域と言える。

トランプ大統領の粗雑さは嫌いだが、人間を無視した白い理想が行くべき方向も持たず、統合失調症状態の正義をかざして暗黒化した、フランス革命後のようなパリ協定は好きになれない。
もっと言えば理論ではなく、これまで自分が生きて経験してきた全てが、警戒しろと騒ぐのであり、強い嫌悪感を抱かせるのである。

プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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