2019/11/26
「少女支配」
日本に古来から存在する諺で、昭和まではたまに使われたものの、平成、令和の時代には全く使われなくなった諺を一つ紹介しておこう・・・。
「小さな袋には気を付けろ」
言葉の額面通りに解釈するなら、見かけは小さな袋だと思っていても、意外に多くの物が入るものだ、或いは小さいからと言って中身が安全な物とは限らない・・・と言う事になるが、これだと諺としての意味が不明瞭だ。
簡略に言うなら「女に気を付けろ」と言う事だが、ここで出て来る女とは小さな袋、「幼い女」「少女」を指している。
大きかろうが小さかろうが袋は袋だと言う意味であり、幼かろうが年増だろうが基本的に「女」である事に違いなく、その意味では幼い女、少女であっても基本は女だから油断してはならないと言う話なのである。
万葉集の第一番歌に「雄略天皇」(ゆうりゃくてんのう)の歌が出てくるが、詳細は「日本書紀・雄略記」を見ればもっと明白となっている。
三輪を流れる大和川で衣を洗うを美しい少女、この場合は10歳より下だったのではないかと思うが、少女を見た雄略天皇は名前を尋ねる。
同時代名前を明かすと言う事は、服従、関係依頼を意味する事から、相手が天皇で名前を聞かれたと言う場合は「お前の事が気に入った」と同義の可能性が高く、それに対して少女は「引田部赤猪子」「ひけたべの・あかいのこ」だと答えます。
記録されている話ではこの後、雄略天皇は赤猪子にいつか后にするから嫁に行かずに待っていてくれと言っていますが、現実には雄略天皇が少女に名前を尋ね、少女が名前を応えた時点で「お前の事が好きだ」「承知しました」は既に成立している。
それゆえ無粋な説明部分は本編に追加記述したものの可能性が高いが、話を元に戻すと、雄略天皇は少女を口説いてから、内裏に帰ってしまうとその事を忘れ、80年の歳月が流れてしまう。
すっかり昔の事など忘れていた雄略天皇、しかし少女は約束を忘れてはいなかった。
80年待っても来ない天皇を訪ねて、老婆になった少女がやって来るのである。
「あの時の約束はどうなったの?」
「あっ、忘れていた、済まない・・・」
この話は万葉集にも出てくるから、ある種歌としての意味合いを考える人も多いが、その現実は当時流行していた少女愛に対する戒めだったと言われている。
どうもこの5、6世紀には幼い男の子、幼い女の子に対する恋愛観が蔓延していたものと見られ、これを戒める意味で「引田部赤猪子」の逸話が記された可能性が高い。
そしてこうした幼い女の子に対する恋愛観はその後も後たたず、江戸中期には「小さな袋には気を付けろ」と言う諺に引き継がれる訳である。
我々大人と言われる年代の人間は少女をなめてかかっている可能性が有る。
高校生だから、中学生だからと言うが、現実に陰湿ないじめは小学校から始まっているいるものであり、スマホやインターネットで全て大人の世界も見ている、形は子供だが内容は大人、もしかしたらそれ以上が少女の可能性もある。
元禄時代には12歳、13歳の少女が体を売って親を養っている記録が残っているが、この少女達を目当てに30歳、40歳の男達が血道を上げていた現実に鑑みるなら、一定の厳しさを持つ環境に在っては、小学生だろうが50歳だろうが、その中で生きて行こうとすれば、相対する者がそれを女と認識した時から、同じ効力を有する。
この場合30歳、40歳の男が十代前半の少女から支配を受ける場合が出て来る。
弱さや幼さ、厳しい環境を介して、少女本人もそれと気付かず、支配を受けている男も気付かない間に進む支配。
形は男の監禁や誘拐なれど、本質はその弱さや脆さに拠って引き起こされる少女の微弱な支配・・・。
国家が衰退し、民衆の中に希望が失われ、社会モラルが低下し、貧しい者が増えてくるこれからの日本に措いては、雄略天皇の時代を笑えない。
美しいや素晴らしい、或いはかわいそうから同情まで、事の本質は被支配の一つであり、少女支配は形に見えない状態で増加し、その支配を受ける男のパターンは、社会に一定の距離を持ち、正義感が強く優しいが現実の力を持たない男が陥り易く、やがて理想が目の前の現実に追いつかなくなると共依存を経て、破綻した男の暴力や監禁支配に転じて行く可能性が高い。
1600年も前から、少女には手を出すな、気を付けろと言われ続けていて、少女の誘拐や監禁が後を絶たない令和の時代、既に諺としては消えてしまったが、今一度ここで言って措く、あらゆる意味で「小さな袋には気を付けろ」