2019/12/31
「子年」
子年の「子」は陽の始まり、新しい何かが芽を吹く兆しですが、これの正は真夜中の12時にして早く進み、ゆえに吉凶どちらにしても展開は速くなる。
方角は北であり、北は集中の兆しと鋭角であり、最後は点となる。
陽は元々滑らかさの無いものであり、形で言うなら切っ先が鋭い金平糖、言葉で言うならイガイガの要素を持ち、変化が多く急、
これに北の方角が加わると、吉凶どちらも急にして他が見えにくく、吉の深さと凶の深さでは凶が深く、吉は浅くなる。
それゆえ子年はチャンスも多いが成功は小さく、失敗した時は大きくなる。
被さる仏は千手観世音、千手はあらゆる事に器用だが、何でもできるは何も出来ないに等しい(言葉通りに解釈してはいけない、何もしないは究極の動であり、これが何も出来ないは仏の極太)
五行で言うなら「水」だが、大河、湖とは趣を違える。
動きの早い水であり量は中の下、基本的に災禍の後に始まるものにして、この以前には滅(草木が枯れる)があり、滅が無い時は動きの早い水を不完全と解釈し、この時の水は隠れ、大きな滅へと繋がる。
解り易く言うなら、あらゆる事が小手先、中途半端になり易く、この年より前に水溜り(禍」を避けていると次の芽が曲がってしまい、結果として大きな水溜り、禍に繋がる恐れが出てくると言う事である。
子年は他の干支に比して幸運、繁栄側に少し傾きが有る。
が、これらはどれもが小さく、積み重ねる事を意識しなければ幸運、繁栄もまたバラバラになり、効力が薄い。
予め人の世は凶事九、好事一のものであり、数の多いものほど因縁を持つ。
為に子年の吉凶は本来同じ深さのものに在りながら、因縁に拠って広がる凶事が深くなる。
道理の薄くなる卦が有り、人心は直感、感覚に拠って動く事が多くなる。
理論的な展開、整合性よりも感情が優先される事が多くなる傾向に有り、これが長じれば知らぬ間に世を惑わす。
驕った心を抑え、落ち着いた対応を心がけるなら、例え小さくても好事を積み、目的を達する事もまた難しからず。
小手先やその場を凌ぐを積み重ねると、成功しているように見えながら、最後に無以上に帰する。
やり過ごすや逃げるは、本来解決からは遠いものである事を忘れてはならない。
世界が第二次世界大戦から完全に復活したのはヨーロッパが1983年、アメリカが1986年、日本が1990年だと考えた方が良い、つまり世の中が物余りになった時点をして、世の人々に行き渡る物が完了したと言う事なのであり、これ以降は物の生産を調整しなければならなかった。
しかし繁栄の幻影から逃れられない世界は、以後30年近くも幻を追いかけ、ようやく現実に追い詰められ、次の何かが始まろうとしている。
滅から新たな芽が出てくる兆しそのものと言えるが、この芽はしっかりとした滅が在って成り立つものであり、その以前に滅を逃れようとした者は苦しむ事になる。
日本だけではなく、世界はこれから経済を拡大させるのではなく、どう痛みを抑えながら経済を縮小させて行くかを考えなければならない、分岐点に差し掛かっている。
子年のチャンスは吉凶両側に開かれている。
その場凌ぎ、現実を逃れるなら、先に待っているものは積もりに積もった凶事と言う事になる。
新年、明けましておめでとうございます。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。