「春」







首都圏がウィルス感染に拠ってロックダウンに向かいつつ有りますが、こんな大変な時でも桜の花は咲き、鳥はさえずり、風は暖かな菜の花を揺らします。

人間の世界ばかりが世界ではなく、その一部である事を自然の姿から感じ取って頂けたらと思います。
暫く外出も控えられる皆様に、春らしい動画を見つけましたので、ご紹介させて頂きました。

遠い昔、私が初めて漆の世界に弟子入りした時、師匠は既に80歳近くでした。
私が彼の最後の弟子だったのですが、師匠は明治、大正、昭和と言う時代を腕1本で生きていた人でした。
戦争、大地震、恐慌、デフレ、戦後の混乱を生き抜いてきた彼が私に言っていた事は、「食べる為なら、何をやっても構わない」「仕事に拘るな」と言う事でした。

太平洋戦争後、材料の漆が手に入らず仕事もなかった時、師匠は屋根のペンキ塗りでしのいだとも言っていましたが、その以前、戦時中は静岡の軍需工場で爆弾も塗っていたと語っていました。

「食べて行ければ、それで良いんだよ」
ウィルスで日本中が停滞し、混乱から先が見えない時、なぜか春の日の暖かな光の中、師匠のこの言葉が思い出されます。

無理をせず、待っていなければならない時は、その待っている事すらも楽しむ・・・。
状況が許さず、避けられないものなら、それを嘆くのではなく、どっちでも同じなら泣くより、私は笑う・・・。
辛い事も幸いな事も天の采配ならば、どちらも有り難く頂戴する。

今微細なウィルスに拠って日本の太陽は雲間に隠れてしまったかも知れませんが、この雲は長く続くものではない。
やがて雲は切れ、明るい光が差し込んできます。

それまでの間、泣いても笑っても同じなら、少しは笑いましょう。
どんな事が有っても春になれば必ず花を咲かせる、そんな者たちの力を感じてみましょう。

偶然にとても重厚な桜と音楽の企画を見つけましたので、今日はご紹介させて頂きました。


秋田幸宏氏と、tokyosallyさんのコラボレーションです。


秋田幸宏(あきた さちひろ)
1941年、青森県旧岩木町生まれ。
弘前市常盤野で「山の家 ぶなこ」を経営する傍ら、岩木
山の四季折々の表情を30年以上にわたって撮り続ける。
また「四季をふむ会」の会長として、ブナ林やかまくらを舞
台としたコンサートを開くなど岩木山の豊かな自然を広く紹
介するさまざまなイベントを企画。
2017年2月9日逝去。


スポンサーサイト



「地球の平行線」



この世界に完全な直線も曲線も存在し得ない。

我々が一見直線と認識しているものも、厳密には曲線が蛇行していて、分子的観念からすると、それが遠くに在るからほぼ直線に見えているに過ぎない。

それゆえこの世界で最も作り易くて難しいのが直線や円などの秩序線であり、また人間の視覚はその眼球の持つ構造的視覚的特性を脳が補正して平面性を認知している事から、基本的には中心精度が高く周辺精度は低い状態になっている。

端末に入ってくる視覚、或いは関心の無い視覚対象などは、場合によっては色すら付いていないかも知れない。

この事から例えば四角い箱を作る場合、それを定規で測かり、しかも高い平面性を持つ砥石などで研磨して製作すると、確かにその箱は完全な平面性を持つ構造体に見えるが、どこかで漠然とした不安定、脆さ、または危険性を感じてしまう。

これは何故か、丁度完全な白色が自然界に存在しない事と同じで、それが自然界には存在しない事を人間が非意識的に認識している為に、完全な平面性を確保しようとすればする程、それが自然の構造、すなわち自分からの乖離になってしまうからである。

そしてこうした自然からの乖離性と自然との分岐点が、エンターティーメントと芸術の分岐点になるが、この分岐点は相互に入り組んでいて、非日常性と言う視点に重点が置かれる時代には芸術が壊れ易い。

近年の世界的なパーソナルコンピュターの普及は、あらゆる意味で人間のエンターティーメント性を増長させ、バーチャルが大半を占める暮らしの中では、定規で引いたように分子レベルに近い直線が蔓延するが、これが持つ社会的傾向が「不安定」と言う事になる。

またこうした経緯から自然の部分でもある当代の芸術は崩壊、或いは衰退せざるを得ないが、これは一つの秩序が終わり次の秩序が現れる証でも有る。

松の葉は見ていると綺麗な直線に見えるが、近くで見るとその一本々々はかなり曲がっている。

人間の視覚は意識補正機能が有り、「そう思えばそう見える」ものであり、しかもかなりアバウトな面と高い精度が瞬間ごとに切り替わり、これが記憶に繋がって意識が為されている。

私が若い頃出会った高齢の「沈金師」(漆器の表面に細いノミで絵柄を彫って、そこに金を入れて装飾する技法を持つ人)は150cmの漆板に何本もの並行線を掘るとき、3日間穀物を摂取せず汁ものだけで過ごし、そしてフリーハンドでこの作業に挑んでいた。

彼曰く、「定規で引いた直線は直線には見えない・・・」

「フリーハンドで直線を引く時は弱く息を吐きながら掘ると、綺麗に真っ直ぐな線になる」

私も箱や平面の板を作るとき、それを定規に当てたり平面性の高い砥石で研磨する事はしない。

球体である地球の表面に並行になるよう、そんなイメージで箱を作り、板を塗るようにしている。



ウィルス感染モデルの可能性」

350px-Ba_model_1000nodes (1)

350px-WorldWideWebAroundWikipedia (1)

220px-Watts-Strogatz_small-world_model_100nodes (1)

自然界に存在するネットワークは実に多様だが、その中でも大まかな性質で分類するなら「スケールフリー」「スモールワールド」「クラスター」と言う3種の傾向があり、インターネットの情報拡散形態に付いては、「スケールフリー」モデルが著名だが、こうした「複雑系」のネットワークには自然界もインターネットも共通している部分が多い。

食物連鎖、言語、インターネット、人体や神経伝達機能などが共通して複雑系ネットワークのモデルを持っている。
拡散や伝達と言う動きは、どことなくウィルスの伝染形態にも見る事ができるのかも知れない。

こうしたモデルを使ってウィルス拡散の形を知れば、ウィルスが次にどこへ広がっていくか、それを知る事ができるかも知れない。
一番上が「ランダムネットワークモデル・その下が「ウキペディア周辺WWW構造モデル」一番下が「ワッツ・ストロガッツモデル・100頂点」である。(いずれもウキペディアより参照)

これらの形を、既に分かっているウィルスの感染頂点と重ねれば、もしかしたら興味深い結果が出る可能性も有り得る。
しかも広がっていく先端は自律分散形態、並列分散形態の2種に拠る組み合わせが出るとしたら、その応用範囲はとても広い。
試してみる価値はあるかも知れない。

「近似代数計算」



一般的にコンピューターや電子演算、計算機器におけるデータの正確さは、それが導き出される結果精度に反映されると考えられているが、例えばごく簡単な方程式の解が簡単ではない場合も存在し、こうした現実からカオス理論が発生した。

また我々が住む地球にそもそも「正確な数値」が存在するのかどうかも疑問である事に鑑みるなら、ある意味我々が絶対と信じている数値もまた、近似値と言う事ができるのかも知れないし、一筆書きで有名なオイラーの研究から端を発した「位相幾何学」などの解は、大きな幅を持っていたりもする。

そうした中で我々が一般生活を営む中には「近すぎて見えない」、或いは「細かく見過ぎて現実が見えない」と言う場合も多く存在する。
レントゲン写真ではピントがしっかり合っている写真では見えなくて、ピンボケした写真で疾患部位が見えてくる場合も存在する。

そこで考えられたのが閾値(しきいち)以下のデータを「0」と換算し、近似値計算に拠って、複雑な多項式近似的因数分解を容易にする方法だった。
これは実に画期的な発見だったが、多項式近似値因数分解が容易になるだけではなく、「解の因数」すら求められる場合が有る事が知られていた。

「佐々木建昭」筑波大学教授等が理研に在籍した時の研究だったが、カオス理論や位相幾何学の分野に匹敵する発見であるにも関わらず、その後あまり応用されていないのは極めて残念としか言いようがない。

閾値や限界点の位置を変えて「0」で計算し、元の設定限界点に拠る結果と比較する過程には、多くの発展的課題も含まれていたし、誤差が避けられない数値計算と、厳密である事を要する数式計算と言う、相反する概念の融合は、カオス理論の初期、秩序が混沌に向かう過程、或いは答えが一つではない位相幾何学との、現実的な関連性まで予想させてくれたものだった。

エドワード・N・ロレンツの観察的カオス証明は、絶対的に見えるものの始まりが非絶対性を示していたし、オイラーの等式(Euler's identity)などは近似代数計算で現れる「解の因数」と極めて近い匂いがしたものだった。

「近似代数計算」(approximate algebraic calculation)
いい加減な数値といい加減な数値を乗じたら正確な数値が現れ、正確な数値と正確な数値を乗じて行くと答えが不透明になっていく・・・・。
この世界は実に面白い・・・。

「コロナウィルス経済対策・正」



さて同表題「抄」では今般のコロナウィルス騒動が歴史的、世界的にどう言う位置を占め、どのような意味を持っているかを解説したが、同表題「正」ではマクロ経済から、コロナウィルス騒動の展開を予測してみたいと思う。
ただし「正」と言う漢字の元は「正解」と言う意味ではなく、他に方法が無いと言う意味であることを認識して頂ければと思う。

まず中国でコロナウィルス感染が始まったのは昨年の10月後半、そしてどうにか終息と言う方向が見えてきたのは今年の3月17日前後だから、日本のウィルス感染が始まった時期を今年の1月とすると、始まりから峠越えまで5か月を要すると考えるなら、日本でウィルス騒動が峠を越えるのは5月になる。

しかしこの段階ではまだヨーロッパやアメリカは峠越には至っていない。
世界的に動きは止まった状態が続き、株価は14000円まで下落する可能性が有り、日銀はこの間株価を支える為に年金財源を使って行くが暴落は止められない。

日本国内で消費活動が回復し始めるのは6月からで、しかもインバウンド需要はこの段階では回復せず、国内需要も通常の40%くらいまでの回復になる。
アメリカとヨーロッパは多くの貧困を抱える為、ウィルス感染後の死亡率はアジア諸国より高くなり、この事がウィルスに対する恐怖心を煽り、アメリカ、ヨーロッパの経済が回復するまでには1年間が必要になる。

可能性としては1年経っても元には戻らない。
ダメージを受けた部分との相乗効果に拠って、マインドは極めて低く抑制され、この期間は日本のインバウンド需要と輸出は抑制される。

また現在の気象的推移は5月、6月の水不足に関して警戒を要する傾向が始まっていて、こうした気象条件に付きものなのが、7月後半の大雨に拠る洪水と台風の大型化、それに上陸軌道が太平洋側に偏る傾向を持ち、この上に統計的可能性として今年8月までに1回、9月から年末までにもう1回、震度6以上の地震発生の確率が在る。
特に今年年末付近に発生する地震は震度6強クラスの可能性が有る。

日本はウィルス騒動に拠る大幅な景気後退と、気象災害、地震災害に警戒しなければならず、ここから考えられる事はオリンピックの中止、若しくは延期はまず避けられない事になり、当然今までオリンピックに投じられた資本は回収が付かない。

またこうしたインバウンド需要を見込んで発生した事業は早期の撤退を実行する事で被害を少なくする事を考えなければならず、この段階では消費税を0%にしても需要は戻らない。
むしろ事務手続きの変更費用が掛かり、効果よりも損失が大きくなる。

政府はあらゆる業態に対して支援を約束したが、日本の企業の90%を占める零細企業、個人事業などには政府の支援は届かない。
リーマンショックの時も政府の特別融資が実行されたが、例えば個人事業主が商工会議所へ融資を申し込めば、銀行の信用保証を付けてくれと言われ、銀行へ行けば今度は商工会議所の紹介を持ってきてくれと言われ、結局たらい回しになった上に融資が受けられない状態が殆どになる。

もはや日本の商工会議所など50年前の機能を果たしてはいない。
何の役にも立たないので、もし真剣に融資を望むなら直接政府系金融機関、「日本政策金融公庫」へ出向いて融資を依頼した方が、僅かではあるが融資を受けられる可能性が高くなる。

日本政府は年金資本を減少させ、年金の支払実績は低下して行く。
このまま無尽蔵に株価を支えようとすれば、最大で年金支給額が36・13%減少する可能性が有る。
加えて災害復興に関する費用が必要になり、経済の沈降は継続するので、金融緩和に拠る経済政策は破綻する。

インバウンド需要を見込んでいる業態の事業者は今年9月まで持ちこたえられる体力が在るなら継続も可能だが、そこまで持たないと判断された場合は早期に事業を停止し、支出を抑制することで被害額を抑制する方策以外に道はない。

ただし体力のある場合でも9月から急激に業態が回復するわけではないので、それから以降も苦しい経営が続くことを覚悟しておかねばならない。

飲食店関係、第三次産業、サービス業の業態もほぼインバウンド需要と同じであり、ここでは事業を休止し、需要が戻ったら事業を再開するくらいの機転が必要になり、年金受給者は生活の質を倹約型にして行かないと、従来通りの年金額受給は難しい。

実質金融緩和政策は無効力化する為、株価は基礎体力レベルまで下がった後、低迷し安定する。
日本の場合は14000円が妥当なところであり、厳しい見方をするなら9000円台も有り得るかも知れない。

このような場合の経済政策は減税ではなく、ウィルス騒動が落ち着いた頃に実行される「ばら撒き」である。
すなわち5月か6月に国民1人当たり5万円~10万円の支給を行い、一時的にバブルを作り、その勢いで9月まで持ち込めば実質経済動向はプラスにならないまでも、マイナス幅を抑制する効果を生む。

災害の復興は首都や政令指定都市以外は行わない。
一時的に被災地を放棄し、近隣の空き家などを利用して被災者の生活の安定を図る。
この場合土地に対する拘りなど、情緒的な考え方は放棄しなければならないが、これに拠って災害復興費用は大幅に抑制される。

民衆の立場としては、仕事が在ったらえり好みせず仕事をし、それも難しい場合は支出を抑制して、景気が落ち着く9月まで辛抱するしかない。
日本が豊かだっだのはもはや過去の事で有り、これからは消費型経済を維持する事は難しい。

最後に一言、ウィルス拡散のモジュールはインターネット情報の拡散形態、スケールフリーネットワークのモデル図形を参考にすると分かり易いかも知れない。


「コロナウィルス経済対策・抄」



江戸元禄時代、長引く景気低迷から幕府老中が打ち出した対策は「金融緩和政策」だった。

それまでの小判に鉛を混ぜ、小判2枚から3枚の小判を作ることで通貨供給量を増やしたのだが、一時的にはバブルとなったものの基礎体力がなかった為、あっと言う間にバブルは崩壊、以後小判の純度を下げては持ち直させようとしたが、結果として通貨の価値は下がり続け、景気はどんどん悪化し、崩壊して明治維新を迎えることになった。

更に時代は下り昭和の初め、日露戦争戦費債務、関東大震災、世界恐慌の煽りを受け低迷していた経済を立て直そうと考えられたのは、やはり金融緩和だった。
それも国の借金を国が買い取る形式であり、平成の終盤から令和の今に至るまでに採用されている形式、つまりは国家の借金を紙幣を印刷して買い取るヘリコプターマネー形式と同じだった。

この政策の立案者は名蔵相「高橋是清」(たかはし・これきよ)だったが、彼は短期と言う期限付きを条件にこの方式を採用したが、2・26事件で暗殺され、日本はこの政策の期限を実行できず、結局中央銀行と政府が一体となった不健全以上、ある意味詐欺的政策から脱却する機会を失い、太平洋戦争へとひた走る事になる。

当時の国際社会は第一次世界大戦の経験から、中央銀行の政府からの独立性の重要性を学習していたのだが、第一次世界大戦に直接参戦していない日本はこの事を学習する機会を失っていた。
また国際的経済政策にも通じていた高橋是清が生きていれば、彼は必ずこうした政策は短期の非常事態であり、継続して行けるものではない事を知っていたはずだが、軍の反乱と言うアクシデントに拠って機会を失ってしまい、国家存亡の危機に及んでしまう訳である。

このように長い目で見ると、中央銀行が独立性を欠いた在り様と言うものは、わずかなアクシデントで国家存亡の危機に及んでしまう政策なのであり、第二次世界大戦終結後の国際社会は、改めて中央銀行が独立性を欠いた経済政策を「禁じ手」として確立させていた。

アベノミクスと言う紙幣印刷型金融緩和政策は当初、国際社会からこの禁じ手に対する反旗との印象を持たれたのだが、20年に及ぶ長期デフレで低迷する日本に対し、有効な方策の見つけられない国際社会はしぶしぶこれを容認する。

しかもこうした政策は一種の非常事態、戒厳令にも等しく、国家と国民の間に極めて大きな道義的信用の喪失状態を生む事から、長期に渡って継続すると、あちこちでひずみが発生してくる事は経験上からも知られていた。
長く続けていると、必ず財政か国家が破綻する政策なのである。

これを出口が見つけられず、のうのうと続けてしまった日本政府、まずい事にアメリカもトランプ大統領の出現に拠り、連邦準備局「FRB」に圧力が加わるようになり、中央銀行の独立性が危うくなって行った。
加えてヨーロッパの長期低迷と、初めから中央銀行と政府が一体になっている中国の台頭により、せっかく歴史的事実から学んだ経済政策上の「禁じ手」が蔑ろになっていた。

そこへアクシデントの「コロナウィルス」がやってくるのであり、国際社会はもう上を下への大騒ぎになってしまった。
人間と言う者は、どうしてこうも過去から学べないものなのかと言う気がするが、1人々々の人間には寿命と言うものがあり、70年も80年もすれば過去の苦い経験を知る者も少なくなり、同じ過ちを繰り返すのかも知れない。

唯、言える事は、こうしてせっかく大戦争にもならずに破綻の機会が得られたのだから、これを機に国際社会は中央銀行の独立性に関する「禁じ手」を再確認し、順守する仕組みを確立する事である。

中国は報道上ウィルス感染のピークを過ぎたようだが、相対的に貧困が蔓延していたスペイン、ポルトガル、ギリシャ、イタリア、フランス、他EU諸国と、標準と標準以上が4割、後の6割が貧困と言うアメリカのウィルス感染はこれからである。
そして貧困率が高い地域ほど感染後の死亡率は高くなる。

結果としてウィルス感染には慣れるしか解決の方法がない。
日本は4月後半には落ち着くかも知れないが、それは「飽きる」と言う事であり、ヨーロッパ、アメリカが同じような状態になるのは8月くらいまでかかる。

人口の多い中国は国内需要だけでも何とかマイナス幅を抑制できるかも知れないが、日本のような輸出や観光に依存した経済では、ヨーロッパやアメリカが落ち着く9月まで経済的にはストップ状態、本格的に経済が動き始めるには年内一杯かかるかも知れない。

この間、異常気象に拠る水不足、梅雨末期の大洪水、大型台風の接近、震度6クラスの地震が2回から3回くらい発生するとしたら、早いうちに破綻し、それを口実に年金支給額の減額と支給年齢の引き上げ、高齢者医療負担補助制度の見直し、公務員給与の大幅減額、国会議員歳費を半減させ、地方議会の報酬も3分の1に減額、地方公務員の給与も半分に減額すると、次の世代は少し楽なるかも知れない。

初めから破綻する恐れのある政策をやって破綻を迎えるのだから、この際派手にばら撒いて破綻し、どさくさに紛れて今までやれなかった事を無理やりやってしまうのも悪くない。

中央銀行の独立性は永久必定の原則であり、それを蔑ろにすると、僅かなアクシデントで国家経済、国家そのものが破綻する。
借金を自分で紙幣を印刷するような形で清算していく好景気は「詐欺に拠る好景気」である。

コロナウィルスは確かに禍だが、この禍はある意味のチャンスでもある。
このチャンスを生かせなければ、次に国際社会が中央銀行独立性の重要性をかみしめる時は、第三次世界大戦後、人類が滅亡した時かも知れない。

「埋葬の概念」



埋葬と言う慣習には一般的に「死を理解する」事と、「死後の思想」が必要とされると言われているが、実際にはこうした思想が無くても、現実的対処としての埋葬成立も有り得るだけでなく、人間以外の動物などでも「死の理解」は存在する。

鳥類などでも「死に対する悲しみの感情」を持っているし、哺乳類では犬や猫でも自分の子供が失われた時、普段と違う感情表現をする。
犬の例で言えば、車に轢かれて死んでしまった仲間の遺体を、道路から安全な場所に咥えて引きずっていく事例も存在した。
これなどは埋葬概念の初期段階と言える。

また屠殺される牛が涙を流して泣くのは、その後自分がどうなるかを理解しているからであり、これは人間のような理論的な展開は無くても「死を理解」しているからと言え、猫やカラスなどは自身の遺体を晒さないように「死」に際して姿を隠す習慣がある。
また大型の哺乳類では一定の「死に場所」が決まっている場合も存在する。
これらは「死の理解」どころではなく、広義では埋葬、「自己埋葬」概念と考えても良いくらいだ。

原始人類は食人慣習が在ったと言う推定が為されているが、ごく初期の人類はスタートラインで言うなら犬、猫にも劣る情操感覚だったかも知れない事が伺えるが、人類が埋葬の慣習を始めるのは8万年から10万年前、ネアンデルタール人からだと言われいる。

埋葬された遺体と一緒に花束が出てきた事から、これを最も初期の遺体埋葬と推定した。
花束の存在は確かに「死後の思想」、魂やキリスト教では「復活」の概念の始まりと言えるが、こうした死後の思想で埋葬の概念が広がって行くかと言えば疑問が残る。

日本で埋葬の慣習が確認されるようになるのは縄文時代前期からだが、弥生時代後期から中世戦国時代にかけて、遺体の扱いはとても粗雑なものだった。
庶民は勿論その場で放置され、貴族でも近くの山に捨てられ、誰も見に行く事すらなかった。
山の麓で社寺が建立されて崇められたものの、遺体は埋葬されていない。

これに一石を投じたのが「空海」であり、彼はもっぱら疫病の蔓延阻止と、遺体放置が未熟な社会を示す概念から、四条河原で遺体を集めて荼毘に付したのである。
なおかつ火と言う大きなインパクトをして、仏教の偉大さを示す事にも成功している。

実は死後の世界観が極度に発展した日本では、遺体は穢れとして考えられ、それが避けられた経緯を持つのだが、その背景に有ったものは疫病に対する畏れだった。
触れると死を招くとしたら、自身は手を出さず、下人に山へ捨てさせるのが貴族の在り様だった。

自分の命の為に、遺体埋葬すらも避けたのであり、貴族ですらこうした状態であるから、庶民などは今の感覚で言えば、道路で轢かれているタヌキかウサギ程の関心も持たれなかった訳である。

だが天下が統一されてくる江戸時代初期から埋葬が発展して行く経緯には、やはり疫病の阻止と、重要なのは社会秩序の点から、遺体放置が許されなくなってくる背景が存在し、これに仏教などの宗教観が乗って、現世と死後の世界を使って国民統治機能を持たせたからである。
封建思想、儒教と言う極めて社会的な要因が関係したものだった。

そして江戸中期には現在のボックス型の大型納骨堂も出現してくる。
社会が発展し、土地の重要性が向上、併せて時間が少なくなっていく社会の都合から合理性が求められ、近世には封建社会の中で失われがちになる、発展性のカンフル剤として「忠義」の競争原理が家同士の競争原理に転嫁され、墓や葬儀が絢爛豪華になって行った。

更に現代に至って家制度が崩壊した事から埋葬地、墓の重要性は失われ、今や墓は邪魔になってくる傾向すら現れ始めている。
また親を介護施設に預け、それで面倒を見たと思い、葬儀では懐かしがって泣く姿は、どこかで遺体を山に捨て、麓の社寺で極楽浄土へ行く、それも祖先を間接として自身の極楽浄土入りを願っていた、平安貴族の在り様に重なって見える。

現在の思想的解釈での埋葬概念は間違っていると思う。
蟻や蜂の巣に死体が転がっていないのは、社会に措ける重要性が有るからで、最も基本的な部分は、遺体放置が招く禍に対処する事から始まっていると考えられる。

腐食してカビや菌の発生を許せば蟻や蜂の社会が崩壊し、それは結果的に自身らの危機に繋がるからであり、人類の最も初期の埋葬もまた、放置して他の捕食害獣に囲まれる事を避ける為に始まり、やがて人口が増加すれば疫病の発生を阻止する為に、社会の為に発展してきたものと考えるのが妥当である。

その上に時々の思想が乗って来ただけで有り、最初に「死の理解」と「死後の思想」が存在したのではなく、物理的現実から始まった埋葬に、思想が乗って来たと言うのが正しい理解だと思う。


「輪島市西部陸地地震」



2020年3月13日午前2時18分に発生した、石川県輪島市西部を震源とする地震に関して、保勘平宏観地震予測資料編纂室では「輪島市西部陸地地震」と仮称しました。

気象庁の観測では地震の規模を示すマグニチュードは5・5、最大震度5強、震源の深さは12kmと推定致しました。
またこの地震は2007年に発生した、能登半島地震の余震域で発生したものと発表されましたが、正確には余震や余震域ではなく、2007年地震震源の延長線上に相当し、従って余震ではなく単独地震と推定されます。

この場合の余震化傾向は、余震自体が非常に少なくなる傾向に有りますが、数日してから本震の75%に相当する地震が発生する可能性が有ります。
つまり余震は細かく何度にも分散されるのではなく、余震エネルギーが蓄積された状態で、少ない回数に集中して発生する確率が有ると言う事になります。

余震の最大震度は4クラス、この余震が発生する可能性が高いのは本震発生の4日後、3月17日付近に発生し易いと推定されます。

またに2011年に発生した東日本大地震以降、日本列島は常にプレートに圧された状態になっている事から、こうした傾向の地震は比較的日本全国に散らばって発生する確率が高く、既に小規模地震に対する地殻耐性力は第二ステージに入っているとみられる事から、これから発生する地震は震度5近辺の地震が多くなり、2、3年後には震度6付近の地震が多く発生してくる可能性が有ります。

しかもどう言う形の力学的作用が有るのかを正確に観測できない事から、日本のどの地域でも均等の発生確率になります。
言い換えれば、1つの地震に関する他の地震の関係性が全く読めないと言う事で、いつどこで発生するかの予測は、傾向や関連性、周期、場所の近さだけは予測できないと言う事になります。

また冬季の温暖化は世界的傾向に有り、この為ただ温暖であることをして、地震の発生を予見する事は出来す、魚介類の異常、今まで獲れていた魚が獲れなくなる、反対に今まで獲れなかった魚が大漁になるなどの異常も世界的規模に及んでいます。

気温の変化は植物にも影響しますから、当然植物の異常だけをしても地震の予知はできません。
現状の日本は「シュレディンガーの猫」であり、地震が発生するか否かの確率が均等に散らばっています。
全ての地域が震源であり、そうではない状態です。

それゆえ温暖傾向、魚介類の異常、植物の異常に関しては異常の中の異常を探し、また気象的異常、例えば太陽に色が付いて見えるとか、空気が紫に色に見えるなどの変化などと組み合わせて、各自が判断して行く方法が最も効率的な予知に相当すると考えられます。

ちなみに安倍総理は能登半島の地震に関して非常に縁の有る総理で、2007年死に体となっていた安倍政権下で能登半島地震が発生し、今回もまたアベノミクスと言う詐欺が遂に破綻し、コロナウィルスとオリンピック、株価大暴落で四面楚歌、すでに呆然自失状態の時に能登半島の地震です。
何とも不思議な気がします。

また大きな地震は政変や株価の変動幅が大きな時に重なる傾向が有り、こうした事や温暖な気候、動植物の異常などを勘案すると、漠然と今自分が住んでいる地域が安全か否かが見えてくるかも知れません。

ちなみに、今回の「能登半島陸地地震」に関して言えば、昨年末から来年は何か悪い事が起こりそうだ、また能登半島地震のような事が起こるのではないか、輪島市の人たちは挨拶代わりに、そんな会話をしていたものでした・・・。

3月13日(金)能登半島輪島、LIVE



3月13日(金)午前2時50分・天気晴天・南南西の風2m・能登半島輪島、LIVE

2020年3月13日午前2時18分、石川県輪島市西部を震源とするM5・4、最大震度5強の地震が発生しました。
震度5強の地震が発生した能登半島輪島からのLIVE通信です。

この地震は保勘平宏観地震予測資料編纂室、2019年12月21日の記事にもあるように、ある程度警戒されていたものではありましたが、震度6を超える巨大なものではなくて幸いでした。

また当地では殆ど被害が出ておらず、倒壊した建物もけが人も今のところ出ていないもようです。
また余震も大きなものが発生していませんが、これから7時間以内に震度3クラスの余震発生は有るかも知れません。

この地方の方言で言うなら「あざ軽い天気」、どことなく薄っぺらな好日、深みのない穏かな日和が続いていたし、株価も大きく変動していた。
福井と富山でリュウグウノツカイが多く上がっていたし、京都ではダイオウイカも上がっていたので、どこかこの近辺が胡散臭いと思っていたのですが、まさか自分の住んでいる所とは、結構衝撃です。

ただ輪島市では建物の倒壊、けが人は出ていない模様ですし、このクラスの地震では大きな被害も出ていないものと思われます。
この地震の震源は2007年の能登半島地震の震源の延長線上に有るが、深さは10kmと浅い。
揺れの方向はほぼ東西、余震は本震付近に集中して長くは続かず、また本震が5強なら、最大余震は4、平均震度1クラスの余震が今後2ヵ月程続くが、他のこれまでの地震に比して回数は多くならない。

また余震発生前にはゴーと言う音が聞こえるが、このクラスの地震で発生する余震は音のインパクト程大きくならない。
落ち着いた対処が必要と言える。

ただし、1993年に発生した能登半島珠洲市沖を震源とする震源域は佐渡島、中越沖地震群に属する可能性が有り、この点で言えば同震源域の地震が発生していない事から、関連して発生する可能性が否定できず、この場合震源に近い珠洲市では南北方向の揺れ、震度は6となる可能性が有る。

今のところその顕著な兆候は報告されていない為、直近の危機とは言えないものの、警戒が必要と言え、この珠洲市沖の地震と時期的関係に有るのが北九州の警固断層地震であり、どちらかに地震が発生すると、連鎖するパターンが推定できる。
また現在、日本各地で発生している高温傾向、魚等の異常に鑑みるなら、能登半島の地震はほんの序章に過ぎず、2年と言う単位で考えるなら、この先には想像もできない程恐ろしい事が待ち受けている気がしてならない。

普段事件や事故も少なく、動きのない過疎の限界市町村では、地震は大きな話題となるかも知れないが、このクラスの地震で大騒ぎする必要はない。
実質被害が無ければ、平常の1日として、過度に騒ぐことなく日常の業務、責務を全うしましょう。

緊急の報告でした。
さて、もうひと眠りです・・・(笑)



「パズズ・蝗害」



「パズズ」は映画「エクソシスト」に出てきた悪霊、アッカドの人達が毒を以て毒を制するの思想から、魔除けに信仰した悪霊だが、ライオンの頭と鷲の足、4枚の羽根を持ち、サソリの尻尾に蛇の男根を持つ像がルーブル美術館に収蔵されている。

「風」それも「熱い風」の悪霊と言われ、すべての悪霊を統率するプリンスとして、紀元前3000年前のシュメール文明期から、信仰とアンチの中心に存在する悪霊の王だった。

しかも父となるハンビに関する記述は殆どなく、以後の歴史で継承発展する事もない、まったく独立して価値観を継続する邪神なのであり、同じようにハンビの子だった全悪フンババは殺され、レバノン杉と共に森は失われるが、パズズは一度も滅ぼされた事が無い。
極めて独立性の高い、他のいかなる神にも侵された事のない邪神なのである。

これの正体は蝗(イナゴ)と言われているが、アフリカ、エジプト、中東、アジア大陸では乾燥地帯で時折雨が多くなると、大量発生した群れが移動し、これに来襲された地域ではあらゆるものが食い尽くされ飢饉となって行った。
この為、近代に至るまで世界を襲う、最も大きな天災として恐れられて来た背景があり、現在でも基本的な脅威は払拭されていない。

またここでは「蝗」(イナゴ)と表記したが、これは日本的概念であり、パズズの基本概念は「バッタ」である。
イナゴはバッタの亜目だが同じではない。
バッタは遺伝学的には植物に近いいい加減さと、環境適合能力が在るため、「亜」に近い変化が成虫になっても発生する。
研究者の中にはイナゴとバッタを区別しないものもある。

ただし日本のそれは更に漠然性があり、紀元元年付近で伝えられた中国大陸のバッタ被害を、ほかの害虫や細菌に拠る農産物被害にまで拡大して解釈した為、「いもち病」や「ウンカ」まで「蝗害」(こうがい)と概念した。
それゆえ日本で言う「蝗害」と世界的な概念での「蝗害」は若干異なる。
世界的な「蝗害」の概念は「群生飛来バッタ被害」である。

バッタは集団になると、その性質が異なってくるものが出てくる。
これを「相異変」と言い、生物の本来は食物テリトリーの関係から、一定の面積中では単独で有ることを目指し、これを「孤独相」と言うが、バッタは一定数が過密になると、加速的に集積しようとする傾向が出てくる場合がある。

これを「群生相」と言うが、原因は遺伝とされているものの、本当は何故そうなるか解明されていない。
形状的変化も出てくるのだが、本来は孤独相なものが過密になって行く過程は、人間が考えるような理由を持たないのかも知れない。

そしてこの「蝗害」に関する記録を最も多く残しているのが、中国だった。
古代中国では、天災は統治者の不徳に拠って生じるとされてきた背景から、「蝗害」に関しては事の成否はともかく、歴代皇朝が徹底的に対応して来た歴史が在り、古くは「殷」の時代から軍隊を用いてまで、「蝗害」に対処してきている。

また聖書では神の罰として多くの「蝗害」の記述があり、この事はエジプトでも同じだった。
アフリカ、アジア大陸、中東、アメリカ大陸、ヨーロッパでは5000も年前から、今に至るまで最も忌避すべき災害として「蝗害」が存在し続けているのである。

あまり知られていないが、日本でも律令国家時代から昭和の時代まで「蝗害」が存在し、律令時代の記録では「蝗害」に拠る租税免除記述が有り、江戸時代の記録では一部の地域ではあるが、米の総収穫量が4分の1にまで減少した記録が残っている。

1870年代、アメリカのミズリー州では幾度も「蝗害」に見舞われたが、この中で一番大きな群生飛来は幅160km、長さ500km、群れの立体的厚みは平均900mにも及び、一番厚いところでは1600mの高さが有ったとされている。
日本の青森から山口県までの3分の1が、厚さ1kmに及ぶバッタに占拠された事になり、これが2日移動したら日本には雑草の1本も生えていない事態になった事だろう。

こうした群生飛来バッタの1立方メートル当たりの数は15~22匹、個体総数では300億匹~1000億匹と言われ、今この瞬間にもアフリカで大量発生したバッタの群れが、既に中国西部地方にまで及んできている。

20世紀入って先進国と呼ばれる国家では殺虫剤の普及により、「蝗害」は少なくなったが、経済的に苦しいアフリカ諸国は「蝗害」が克服できていない。
国際社会はこうした地域に援助し、「蝗害」を抑制していたのだが、ウィルス騒動でこの援助ができなかった事が、今回「蝗害」の拡大を許し、併せてやはりウィルス対策に奔走する中国は、大規模「蝗害」の危機に直面している。

この世界の食糧庫がバッタに食い荒らされ、中国14憶人の食糧確保が難しくなった場合の国際社会は、ウィルスと共に食糧危機にも晒される恐れがある。

こうしたウィルスや群生飛来バッタを観ていると、国境という概念が人間だけが見ている非現実にしか過ぎない事を改めて思い知らさせるが、何かの力が衰えると、それまで何とか出来ていたものまでも、防御できなくなる仕組みはウィルスも「蝗害」も同じだと言う事に気付かされる。

この世界は基本的に弱肉強食すらも超える「無機質」であり、共存や平和など絵に描いた餅にも至らぬものである事を思う。
唯ひたすらに「食」、蝕んでいくバッタの姿にこの地球の厳しさと、本質的には自分以外がすべてが敵なのだと言う現実を思わずにはいられない。
(この最後の4行は浅く捉えない方がいい・・・笑)

プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

月別アーカイブ