「信の貞観」抄

「その闇の最も深きは光の隣」、世の中が混乱の極みに達した時現れるものは「偽りの救世主」

敵より深い敵は我が隣に在る者、つまりは味方の裏切りと言う事になるが、自分を狙う為にやってくる者の中で、一番軽いのは大騒ぎして自分を探しているチンピラであり、恐ろしいのは闇の中で息を殺して命を狙う者、更に恐ろしいのは自分が寝ている間に首に切り目を入れる美しい女・・・。

人間社会に措ける「信」の定義は曖昧で、尚且つ一般的には命をもってそれが担保されたように見えるかも知れないが、例えば経済や金融の世界では、その損失は該当者の命では抗う事が出来ない。

一方、人間には寿命が在り、この点で「信」に確固たるもの、継続性を概念することはできない。
限界が在り、「信」の本質は期限が存在するものと言う事になり、人間の行う事業にも期限が在る。

「信」はこうした期限の利益が一致した状態だと言え、これを思想面でも概念して固定すると、「裏切りが」が発生する。
「信」の正体はそれを、そうだと見せる事ができる環境と、時期にしか過ぎないと言う事になる。

完全なる「善」は「白痴」、完全なる悪もまた無意識であり、この状態の人間は恐らく存在できない。
いかなる悪人も今まさに橋の欄干に立ち、身を投げようとする女を、何も思わずに眺められる者はいない。

善悪は濃度で在り、その両端の完全な色は存在できない。
このような状態の中で、予め敵と判明している者は嬉しく、それがそう見えない者は悲しいが、この悲しい者こそが敵をこちらが操る事ができる唯一の手段なのである。

裏切るまでは、最も味方らしくしている訳だから、これを遣う事の利益は計り知れなく大きい。
ちょうど一番高くなった時に手放す株式にも似たりで、リスクも大きいが利益も大きく、しかしその限界点は大まかな予想ではできても、最高到達点が見えた時には、既に株価は落ち始めている。

韓非子はこの意味ではリスク側を追求したものだが、このリスクの最も大きなところは、裏切られる寸前、つまりはそこが最も大きな利益が存在している点でも在ると言う事になる。
自分に取って最も大きな悪は、目に見える極悪ではなく、目に見えない、一見味方に見える者の小さな裏切りに始まり、予め敵に与していて味方の振りをする者の濃度はまだ薄い。

完全なる善の白痴、悪の無意識を両極端とするなら、最大の敵は人の愚かさ、弱さ、貧しさであり、味方であってもこれらの状況が揃えば、敵以上に大きな損失を発生させる。

それゆえ一般的にはこれを遠ざけよと言う事になるのだが、何の事情も無い人間は少なく、そもそも事情が無い者は自分に近寄らない。
そしてこれらの者は損失を発生させる寸前まで遣う事もできる。

人の上に立つ者、政を為す者はこの利益の限界点を見定め、人を遣ってこそ大きな利益を得る事ができる。
また大きな荷物を持った老婆に取って、それを持って横断歩道を導いてくれる者が売名行為でやっていようが、本当の善意でやっていようが結果は同じ「利」である。

先に述べたように人間の善悪は濃度で在り、どの道完全な善意など存在しない事に鑑みるなら、それがグレーだろうが黒だろうが、大した意味はない。
これを「信」や「義」で縛って避けるは愚かな事であり、見えている敵には「信」の限界が予め現れている分「信」が存在し、見えていない敵、愚かさや弱さ、貧しさを持つ味方には限界点が見えていない分「信」が無い。

韓非子を読むとき、韓非子と同じ視点や考え方で読むは理解が薄くなる。
彼には常に僻みが在り、また秦に仕官しようと言う欲に拠って、分岐点を見誤ってしまった浅さが在る。
この浅さを理解し、そこから張り巡らされた敵の策謀を利用し、自身の利益に繋げてこそ価値が出てくる。

自分がそれを被って最も大きな損失となる部分を避ける事は、自身に取って目に見える利益よりも遥かに大きな利であり、敵の損失になるのであり、敵を避け、味方を遣っているだけでは利は薄い。

世の中は味方より、敵をどう遣うかに拠って違ってくる。
この点では西洋の両側投資、民主主義の根幹にも親和性が在る。

そして一番見えにくく、大きな脅威となるのは「愚かな善意」「偏狭な信義」であり、これを見据えるにはあらゆる客観的事象をして正確に測る事ができ、これを限界まで遣い切る事が最も有能な為政者と言える。

それはまるで水のように、高いところから低いところへ流れるように、整然と偽りなく動くものであり、これを見るには心と体を鍛え、その先には「仁」が在る。

「仁」は元々善を為すことを指してはいない。
「痛みを感じられる体」を指す。
善悪の定義は社会や時代に拠って変化し、これに連動して善悪の濃度が変化して行く、それを正確に感じる事を「仁」と言う。

その遠きは最も近く、その近くは最も遠い。

[本文は2022年1月28日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]


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「クリスマスによせて」

ラテン語の「Liberty」は「自由」の語源の一つだが、これの本来の意味は「負債を負っていない事」を源とする。
分かり易く言えば、その階級が王侯貴族であると言う事だ。

自由を阻害するものの最小単位は「約束」や「契約」からでも生じ、その発生は自らが認証した不自由、他者から強要された不自由、社会通念上の制約などが挙げられるが、現代用語解説的概念からすると、自らが承認する不自由は自由の一種となる事から、現代に措ける自由の相対概念とは、自分以外の他者から自由を阻害された事をして成立する。

尤も王政や帝政時代とは異なり、現代ではあからさまに権力を振りかざして強要すると言う形は少ないが、多くの民意を代表した形を整え、また民主主義を標榜した形で、対立意見を抑制する形態が増加し、これの始まりは古くから存在するが、マスメディアを利用して「全体主義」を完遂したのが第二次世界大戦のナチス、アドルフ・ヒトラー総統だった。

我々は一般的に「独裁政権」を悪と見做し易い傾向に在るが、これの本来は行政手法の1つだった。
それゆえ独裁化でも民主主義は成立し、自由も成立するのだが、社会正義を掲げて思想まで統一しようとする事を「全体主義」「ファッショ」と言い、こうした状態に陥った国の将来は長くない。

ファッショを実行した為政者の最後は、必ず民衆のリンチに拠る処刑となる。

2021年11月2日、中国の世界的テニスプレーヤー「彭帥」選手は自身のSNSで、前の副首相から性的関係を強要された事を発信したが、その後彼女の消息は閉ざされ、怪しげな消息が政府系関係者のSNSや写真公開に拠って発表され、その疑念はさらに深まった。

そして2021年12月21日、彼女は自身の言葉として「前の副首相から関係を強要されたなどと発信していない」と、まるでそれが陰謀説であるかの様な発信をしているが、誰がどう見ても、これが彼女の本心だとは思えないものだ。

また2021年12月20日決定した香港議会選挙でも、民主派は完全に排除され、愛国を認められた者しか立候補できないシステムなど、耳や目を疑う時代錯誤、危険の臭いプンプンである。

この世で最も辛いのは「飢餓」だが、では人間は食べる事が出来ればそれで良いのかと言えば、そう簡単なものではない。
時には命が掛かっても妥協できないものも存在する。
その1つが「自由」と言うものだ。

天は予め無慈悲で理不尽だ。
行い正しく、慈愛に満ちていても、その命は容易く奪われ、悪の権化のような者が蔓延り、道理の通りに動く事など皆無に等しいのがこの世界だ。

そんな中で食べて行く為に、生きるために心を押し殺して暮らしている人もまた、飢餓と同じように苦しいもので在る事を、私は思う。

1980年代半ば、アフリカの子供たちの飢餓に対して、世界中のアーティストが参加し、楽曲で得たお金を寄付する運動が起きた。
当時、実際にアフリカを旅していた私は、何とも軽いものにしか思えなかったが、それでも何もしてくれないよりは遥かに大きい事だとは思っていた。

あれから東西冷戦が終わり、世界は驚く程経済的規模を拡大させた。
だがしかし、2021年の今日、中国は前近代的な個人崇拝ファッショに陥り、ロシアはウクライナに軍事攻勢の一歩手前の状態である。

世界中に存在する飢餓と貧困、そして生きて行く為に、涙を隠して笑顔を作る人々の事を、私は思う。
この理不尽と無慈悲は如何ともし難いが、あらゆる悲しみや苦しみの中から生まれるものが、必ずしもまた悲しみや苦しみとは限らない。

君が噛みしめた唇の痛みは我が痛み、世界の全ての人の痛みである。
君の思いはまた我が思い、今この世に在る者全ての願いである。
君、希望の灯を絶やす事なかれ・・・・

Merry christmas. Old passion

[本文は2021年12月21日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]


「1993年と1995年」

1995年、阪神淡路大地震が発生した折、当時既に権威を失いつつ在った「日本地震予知会」〈気象庁、大学研究機関合同会議〉は、大きなプレート地震が発生する前の50年は、陸地震が活発化する傾向が在った事から、日本は地震の活動期に入ったと所見した。

また気象庁では阪神淡路大震災はかつて記録のない地震と所見したが、淡路島の野島地区には断層が在ることは古くから知られていて、また中規模、小規模地震は時々発生していた。

同様に2011年の東日本大地震も、想定外の地震とされたが、それは規模の問題であり、日本海溝を巡る震源は古くから数多くの記録が残されており、著名なところでは金華山沖の震源などは、それがあたかも単独の震源周期とまで観られていた。

これも基本的には古くから知られていながら、その規模が想定できなかっただけ、つまり人間の思い込みに拠って「想定外」になったと言える。

東京大学理学部などが主張する「周期予測」は、実はかなりアバウトな時間を周期にしている。
南海地震などは100年から200年の周期と言うのが正確なところで、これが本当に周期と呼べるかどうかすら判らないほど曖昧なものでしかない。

人間が調査できる地質年代はせいぜいが2000年くらいまで、しかも調査範囲は狭く、過去に文献などが存在しないと規模すら想定できない。
北海道や山形盆地、琵琶湖などでは4000年前、5000年前の大きな断層活動が認められているが、ではこの周期がどのくらいなのかは想像すらできない。

地殻変動の周期を考える場合、例えば数百年と言う期間での兆候は、本来周期とは呼べない。
1万年と言う単位で観る場合、あらゆる周期は唯のランダムにしかならない可能性が高いのだが、人間と言う身分ではそうした危ういものですら、頼らざるを得ないのが実情かも知れない。

伊豆半島周辺には連動しているように見えながら、独立している震源が3箇所存在する。
伊豆大島近海では過去に単独で大きな地震を引き起こしていて、この時周辺の伊東市沖や東海方面では兆候を示さない時が在る。

同様に数百とも観られる小火山が群在する伊東市沖では、フォッサマグナ中の長野岐阜県境のようにして、周期を持たない群発地震が発生するが、これが伊豆大島近海地震の前兆になるか否かと言えば、そうでもなく、東海地震の前兆と考えられるかと言えば、必ずしもそうは言えない。

1991年くらいから伊東市沖では群発地震が多発し、これを東海地震の前兆と観た当時の研究機関や政府は、不安を抱く民衆に圧されるようにして、高額機材観測機器を投入したが、東海地震は発生せず、1995年には阪神淡路大地震が発生し、ここで「地震予知は不可能だった」と、日本地震予知会は見解し、一挙に権力を失って行ったのである。

現在は地質調査委員会や中央防災会議などが尤もらしい事を言ってはいるが、「地震予知は不可能」と言う現実は変わらない。
科学的データを示しながら、過去の傾向から解説するが、それらは「未来」を示している訳でもなく、何等の解決策を持ってもいない。

また各大学の研究機関も過去の調査資料から傾向を示すことはできても、いつ、どこで、どのくらいの地震が発生するかを示すことができない。
せいぜいが、「近付いている」「目の前まで来ている」としか見解できない。

では我々大衆はどう言う形で未来を想定すれば良いのかと言う点だが、基本的には研究機関の予測も占い師や宗教者、或いは伝説とそう大きくは変わらない中で、我々はこうしたものを加味して地震を予知して行くしかない。

その中で参考になるのが自然界の変化だが、こうした自然界の変化は凡そ30%ほどの確率になる。
これはどう言う事かと言えば、くしゃみが出る時、それで出そうでも収まる時が在るのに似て、大きな地震も1回目で地震になる事は少なく、2回くらいは持ちこたえて大きな地震になる場合が多い。

しかしこうした場合の前兆は、持ちこたえた時にも大きな地震が発生する時と同じ現象を出現させる。
それゆえ自然界のあらゆる異変は、3回の内当たるのは1回くらいのなのである。
こうした傾向を頭に入れて、拠り多くの現象が現れるか、或いは何度も発生する等の複合傾向を勘案して判断することが望ましい。

能登半島では夏から大規模な植物異変が発生していた。
春に新芽を吹いた落葉樹が、夏にもう一度新芽を吹き、こうした傾向は小規模なら無い話ではないが、人の目に留まるほどの規模は初めてあり、例えばケヤキなどは害虫の異常発生も考えられるが、柿の葉は害虫では説明が付かない。

同様に北海道羅臼ではサバが大漁になり、同地でのサバの大漁は過去に例がない。
さらに2021年12月16日、北海道松前町では、海岸線4kmに渡ってイワシが打ち上げられた。
現地の女性は「こんなことは初めて」と所見している。

唯の海水温の上昇なら、過去にもっと海水温が上昇した事もあるし、過去にはもっと暑い夏も存在した。
それにも関わらず何故今年それが発生するのかを考えると、例えば北海道南西沖地震の時、20日くらい前、同地でヒラメが大漁になり、やはり現地女性が「こんなことは初めてだ」と所見していた事を思い出す。

今のところ、こうした能登と北海道の事例はそれぞれの地域の地震の前兆かも知れないが、これが他地域でも変わったことが起きている場合、日本の半分が被害を被る地震発生も想定しておく必要が在る。

能登半島では今後数カ月、珠洲市の249号線中央部から半径30km以内を震源とする、最大震度6クラスの地震に警戒する必要が在るし、北海道では奥尻島南部を震源とする、最大震度7の地震に警戒をしなければならないのかも知れない。

イワシが打ち上げられた松前町の少し上が奥尻島であり、1993年7月12日に発生した地震では死者202人、行方不明者28人を出した大地震の震源である。
その規模は1995年に発生した阪神淡路大地震とほぼ同じである。

何もなければそれに越したことは無いのだが、因みに1994年の夏は記録的な暑さで、ビールの売り上げがGDPを押し上げたとされた年であり、1995年は隕石落下や、火球が数多く観測された年でもあった。

[本文は2021年12月19日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]



関東大地震」

1854年12月23日、安政東海地震が発生し、その翌日24日には安政南海地震が発生した。

大きな地震に動揺していた日本だが、その翌年1855年1月28日、「関谷清景」〈せきや・きよかげ・鉉太郎〉は誕生した。
日本が黒船来航により開国を迫られ、大きな地震に見舞われ、大混乱になっていた時期だったが、彼が1歳の誕生日を迎える2カ月ほど前、1855年11月11日、江戸は更なる大禍に見舞われた。

安政江戸地震が発生したのだった。
関谷清景が後に日本初、いや世界初の地震学を確立して行く事に鑑みるなら、関谷が生まれた安政元年付近の時期と言うのは、ある種の運命と言えるものだったようにも思える。

関谷清景は大きな地震の前には雉が鳴くと言う、遥か過去から伝承されていた地震予知法を実証する為、自宅で2羽の雉を飼っていた。
そしてそこから雉が地震の前に鳴くのは、P波、つまり今の緊急地震速報と同じシステム、地震の予知ではなく、発生した地震波を捉えていると見解し、これは猫と同じで予知ではないと証明したのである。

〈関谷清景・1855年ー1896年、東京大学理学部機械工学科地震学実験所初代所長、内務省地理局第4課験震課長、東京大学理学博士〉

関谷清景が誕生する11年前、1844年頃から日本には不穏な傾向が現れていた。
千葉県北西部、栃木県南部、茨木県南西部、横浜、横須賀では震度1から4クラスの地震が1カ月に1度くらい発生し、年に1回は震度5クラスの地震が発生してきていた。

それゆえ嫌が上にも民衆の地震に対する関心は高まり、「いづつ屋・漢字表記不明」と言う商家の主は、1854年に井戸水が変化してきた事を記していて、後に安政江戸地震が発生した事から、大きな地震の前には井戸水の水位が変化する事を、後世に残こすと締め括っている。

また別の商家の古文書とされている記述には、やはり1855年10月、親しい漁師がナマズばかり獲れてウナギが獲れないとぼやいていたことが記されている。
〈地震発生当日はウナギの大漁だったらしい記録も残っている〉

この様に、安政東海地震、南海地震、江戸地震の数年前、民衆は相当な不安感を持っていた事が伺い知れるが、これは1923年に発生した関東大震災の数年前にも同じ傾向が在った。

文部省震災予防評議会の「大日本地震資料」内の記述には1920年頃から、東京大学への問い合わせが多数寄せられていた事が伺え、これに対して中村左衛門太郎教授、武者金吉研究員等は色んな実験や検証を行っていた。

井戸水が悪臭を放つようになってきた、音がする、漁の不漁と大漁、動物の異常など、それらは複雑多岐に及ぶ。
2020年頃から時折横浜で悪臭騒ぎが在り、これを関東大震災時にも同じ傾向が在ったとする者もいるが、厳密には関東大震災時前の悪臭は原因不明ではなく、地下水だったのであり、これを一緒にしてしまっている現代人の安易さには、若干の危うさを思う。

安政江戸地震の折には11年前から北関東での地震が増えてきて、大地震に及んでおり、1923年の関東大震災時には、7年前からやはり北関東で地震が増えてきて震災に至っている。

これに鑑みるなら、関東に大きな地震が来る時は、茨木県南部、千葉県北西部、栃木県南部などに中規模の地震が増え、11年から7年後に大きな地震に至っている事が分かるが、ではこの11年や7年をどこから起算して良いのかと言えば、東日本大地震以降頻発する日本の地震傾向では、起算年の設定が難しくなる。

感覚的なものでしかないが、どうも4年半前くらいから、北関東に中規模以上の地震が発生してきているように思える為、そこを起算点にするなら、早ければ3年後の2024年前後が危ないと言う事になる。
ただし、この起算点は確定ではないので間違っている可能性もある。

震源は横浜市、或いは横須賀市、山梨県東部、葛飾区東部、北部、千葉県北西部、のどこかが最初の震源になり、2つから3つの震源が数秒以内に連動し、M〈マグニチュード〉は6・8から6・9、震度7の地域は非常に狭く、東京23区は震度6から震度6強程度になる可能性が高い。

この場合地震に拠る火災や津波が無い、若しくは少ない時、死者は3万人を超えないが、多くのインフラは利用できなくなり、例えば極寒期なら、凍死などの2次被害に拠る死者の方が大きくなる。

東日本大地震以降、日本は毎年大きな地震に見舞われ、これは何か特別な周期か何かのように考えるかも知れないが、冒頭の関谷清景教授の時代を観てみると、彼が生まれる前年には東海地震、南海地震、そして生まれた年には安政江戸地震、1880年には横浜地震、1888年には磐梯山が噴火、1889年には熊本地震、晩年の1891年は日本陸地地震では過去最大級の「濃尾地震」が発生している。

平安時代には京都近郊で毎年地震が頻発し、公家たちを震撼させていた記録が残っている。
元禄、宝永の時代には日本の半分が短期間で大きく揺れ、安政年間も同じであり、第二次世界大戦終結前後も同様である。
今の日本の状態が何か特殊な周期なのではなく、現状が火山、地震大国日本の標準なのである。

関谷清景博士は晩年、濃尾地震発生後、地震のメカニズムを説明し、これからどんな傾向で余震が起こるのか、その時どうしたら良いかと言う点、また極端に余震不安を煽らないように腐心し、被災者の不安感を取り除こうとしていた。

地震の予知も良いし、科学的解析も良いだろう。
だが、避けられない地震被害に措いて、被災した個人々々が或る程度の余震傾向に関する知識を持ち、またそれに連動して、どう言った現象が現れるのかを知っているなら、二次被害やパニックを避けることもできるだろう。

防災の観点から地震予知や、科学的解説、予測も大切だが、明治の東京大学のように、一般から質問が寄せられたら、それを一生懸命調べ、迷信と言われるものにまで真摯に立ち向かう姿勢、人々の不安を煽るのではなく、それを緩和する形、そんな防災もまた重要ではないかと考える。

関谷清景博士の在り様を「倣い」とさせて頂きたいものだ・・・。

[本文は2021年12月12日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]

「トカラ列島地震に関して」

プレートテクトニクス理論の常として、プレート沈み込み部のエネルギーや移動速度が、海嶺、つまり圧す力の発生源より大きくなるケースは多くはならない。

尤も、海嶺付近がマントルの上昇運動地点頂点ではない事から、プレートの中盤にかけてエネルギー値が大きくなることは在り得るが、それが地震に反映される程のエネルギーにまで達すると、地震は小規模、中規模の範囲に留まることはできない。

為に海溝や直前のプレート端が隆起し、これが日本列島が形成された要因の一つでもある。

トカラ列島で頻発している地震のエネルギー方向は、両側張力の正断層地震である事から、その環境モデルは両側2点に沈降部分がある箇所の中間、大きなプレートから圧されている地点の対極線地帯、若しくは下からの隆起が存在する場合の3種に大別される。

簡単に言えば両側に沈み込みが在る場合、下に引かれて行く地点と残ろうとする地点の限界では、正反対の方向に力が加わり、破断しようとする力が働く。

大きなプレートから圧されている形のモデルはフォッサマグナ〈大地溝帯〉の省略モデルだが、圧される事で、その反対側では亀裂部分が両側に裂けようとする力の事で、最後の下からの隆起は火山活動、若しくは地殻隆起に伴って、中心付近から左右に裂けて行こうとする力の事である。

トカラ列島付近では2点が沈降している箇所はなく、フォッサマグナ付近のような環境でもない為、張力正断層地震である場合、簡単に言えば震源も含めた周辺の火山噴火活動に伴うものと考えるのが妥当である。

日本には特定の周期を持たずして、微震から中規模地震が1カ月、長ければ半年ほど継続する地点が3箇所存在し、1つはフォッサマグナが在る長野、岐阜県堺、海底火山が散在する伊豆半島東方沖、そして南西諸島火山群の中にあるトカラ列島である。

これらの地点では周期と呼べる規則性もなく、突然時々中規模地震を含んだ微震が頻発し、しかもそれが数カ月に渡って継続するケースが多く見られる。

こうした震源域地震の場合、火山性微動とは異なるのだが、前震、本震、後震、余震と言うモデルが存在しない。
場合によっては1日に何百回と言う微震が続き、時折中規模地震が混じる形で、数カ月から半年くらい継続する。

この意味では火山性微動に性質は近いのだが、観測波形は火山性微動と同じにはなっておらず、例えばM値で7を超える大規模地震発生の確率は低い。

トカラ列島の地震は震度1から3くらいの地震が頻発する時期、地震が少なくなる時期を繰り返し、時折震度4、5を含みながら、今後1カ月、長ければ3カ月ほど続く。
傾向として微震発生回数が減少すると中規模地震が発生する可能性が、僅かだがこの反対のケースよりは多くなる。

因みにここで警戒すべきは地震に対しては勿論だが、周辺200kmを含めて火山噴火、海底火山噴火に警戒するべきだろうと思う。

我々は地球を概念する時、それらは一分の隙間もなく物質で満たされたパズルのようなものを想定し易く、その意味であらゆる事象は無関係ではないと考えられるが、しかしミクロ、原子の単位では核を周回する中性子や電子の現代モデルは位置的非確定モデル、確率と言う「雲」の濃度で概念されている。

人間が見る物質はきっちり詰まっているが、ミクロの現実はその存在がどこにあるかは決まっていない、スカスカのものでもある。

地震は地球的規模で観る必要もあるが、人間一人々々の単位で観るなら、これでは間に合わない。
直近の事象を分離しながら捉え、それ積み上げてマクロの視点とする方が、おそらく望ましいだろう。

結果から言うなら、トカラ列島の群発地震と北関東の地震は関係が薄く、ましてやこれらを統一的に考えるのは、事象の全てを反映させるには至らない。
トカラ列島の群発地震と北関東の地震を総合的に考えて南海地震の前兆と考えるは、最初に結果在りきの恣意的予測でしかないと思う。

能登半島では今年春に一度芽吹いたケヤキ、桜や柿、スモモ、モモなどが夏にもう一度芽を吹き、ケヤキ等は10月になって落葉してからも新芽が吹く異常さだった。

これらは暑い気温が影響していると考えられるが、では1992年から現在まで、今年より気温の高かった夏がどのくらい在ったかと言えば、実に12回の夏で今年より平均気温が高く、1995年のそれは8月の気温で今年より平均2度高く、2010年の夏も同じく今年よりは2・5度高かったが、春に新芽を吹いた落葉樹が夏にもう一度新芽を吹くなど観測されていない。

結果、今年奥能登の多くの地点では柿が全滅だった。
柿には表年と裏年が在り、豊作と不作が繰り返えされるが、そのレベルではなく「全滅」であり、同地域に60年、70年と営みを続けてきた者ですら、初めての経験だった。

ただ気温が高い事を原因とするなら、落葉樹の異常は過去にも存在するはずだが、今年に限ってそれが発生するのは何故か、また羅臼では例年捕れないサバが大漁になり、これも海水温だけが原因なら、今年だけではなく過去にも発生しなければならない事になるが、「こんな事は初めて」と語る高齢女性の存在は軽くはない。

おそらく1年から3年と言う、少し先の未来には「何か大変なものが待っている」ような気がするが、それは近くまで行かないと何かが分かず、多分南海地震ではないと思う。

現状から推測するに、先に相模トラフ、つまり関東地震が来る。
その時期はこの3年以内と思われるが、その少し前には政治的混乱、若しくは経済的混乱が発生し、或いは株の大暴落と連結するかも知れない。

地震は専門家と言われる者ほど科学的に傾倒してカルト状態になり易く、直近の危機を見失い易い。
多くの大きな地震の前には専門家が騒ぐのはなく、市井の民衆が先に「何か悪いことが起きそうだ」と騒いでいるものであり、この意味ではミクロ的には個人の「直感」の集積である。

それらしい科学の言葉に惑わされるよりは、自分の「勘」を信じる方が的中確率が高いと言える・・・。

[本文は2021年12月9日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]

「南海地震と東南海地震」

過去、1995年くらいまでかと思うが、「南海地震」と言う定義は紀伊半島から四国沖、九州南部で発生する複合地震を指し、伊豆半島から名古屋沖で発生する地震を「東南海地震」と定義した時期が在った。

これは同じフィリピン海プレート上でも、日本近海全てのプレート縁で発生する地震と、紀伊半島から東部のみで発生する巨大地震、紀伊半島から南西部のみで発生する地震の、3種類のプレート地震が存在した為だったが、東南海地震は独立地震のように見えながら、南海地震そのもがフィリピン海プレート縁全ての地震を本質とする。

それゆえ、東南海を含まない地震を南海地震と考えるのではなく、東南海に地震がなくて紀伊半島南西部に限りプレート地震が発生した場合の定義は、南海地震に措ける東部不活性化地域が在ったと考えるべきで、事実、南海地震と東南海地震は相前後して必ず発生している。

こうした経緯に鑑みると、紀伊水道で中規模地震が発生したからと言って、それが南海地震に繋がる可能性よりも、むしろ南海地震の前兆地震は、関東から伊豆半島付近で発生する地震を重要視するべきではないかと思う。

南海地震発生の前震は、関東から伊豆半島寄りの地域で発生する小規模、中規模地震の増加をして、それを想定できるものの、紀伊水道で発生した地震をして、それが南海地震の前震と考えるのは、余りにも安易ではないかと思う。

1946年に発生した南海地震の震源は、2021年12月3日に発生した紀伊半島沖の震度5弱の地震源に近いが、実際のところ南海地震の震源はそれほど確定的な地域のみだけでは構成されていない。
発生ごとに震源は異なり、関東地震と同じように短い期間で複合的な震源に拠って巨大地震となる場合も存在している。

南海地震はフィリピン海プレート縁のどこで揺れるのかを特定できず、また近年発生してきている、今にも南海地震が発生するような物言いには若干の疑問も感じる。
南海地震は震源の複合化の度合いに拠ってそのエネルギー放出量が異なるが、一定の傾向を持っておらず、周期は100年と200の複合と推定されている。

前回南海地震が発生したのは1946年12月21日であり、この点で12月でもあるので危機感が増大するのかも知れないが、周期的には2046年前後、早くても統計的には2038年頃になる。

2021年の年末に発生など在り得ないとまでは言わないが、周期的もう目の前に来ているという言い方は、いささか先取感が大き過ぎる気がする。〈注意を怠って良いと言う訳ではないが・・・〉

南海地震の数年前、或いは直前には東南海地震や関東地震が発生している傾向が在り、30%ほどが南海地震発生後、東南海地震となっているものと推定され、この意味では紀伊水道沖の中規模地震より、関東から伊豆半島など東海寄りに小規模地震、中規模地震が頻発するをして、南海地震の前震と考える方が的を得るような気がする。

そして現在の関東付近の中規模地震の頻発に鑑みるなら、千葉県北西部、北関東、三浦半島、山梨東部で発生していて、これはいずれも相模トラフ、つまりは関東大地震の数年前に発生する傾向と言える。

因みに現在放送されている「日本沈没」ではプレートが折れてマントルの中に沈んでいるモデルが使われているが、マントルは流体では在るが液体ではない。
簡単に地殻が落ちて行く事は無く、プレートが折れたとしても移動するだけであり、その移動速度は年間最大でも14cmである。

日本全体が沈没するには数万年かかり、その間に新たな地殻の端が列島を圧し始める。
日本は沈没よりもむしろ新たな造山活動を恐れる必要が在り、日本が部分的に沈むとしたら、南極と北極の氷が解ける方が現実的である。

「完新世間氷期」の現在に最も近い最大温度気候は、今から7000年前ほどに存在し、今の関東平野は半分ほどが海だった。
東京は全てが海の底だっただろうと思われ、こうした氷河期と間氷期は地球のCO2量に関係なく、地軸の歳差運動に拠って生じる。

人間が推測したり、その範囲で考えられる事を、遥かに凌駕する原理で地球や天体は動いている・・・。

[保勘平宏観地震予測資料編纂室] 第4023号公開通知
資料編纂責任者 浅 田  正

[本文は2021年12月3日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]

「補足」

2021年10月31日午前0時10分、遠くから何となく地鳴りが聞こえてくる。
これはもしかしたら近付いて来るかと思ったが、遠く小さいまま消えて行った。

それから27分後、午前0時37分、また同様の地鳴りが聞こえてくるが、やはり地震に至らずに収束した。
しかし、この夜が明けるまで、地面の気配がざわついたままだった。

珠洲市で中規模、微弱地震発生が始まったのは2021年に入ってからだが、少し長く続き過ぎている。
9月16日に発生した震度5弱が本震なら、兆候や後震動が長過ぎる。

地鳴りも基本的には継続している事に鑑みるなら、珠洲市のルート279号線、或いはルート52号線に沿った、どこかの地点を震源とする、震度6程度の地震発生が近い気がする。

また北関東の中規模地震も、相模トラフ地震の前兆、しかも今までの統計的周期が崩壊しているとするなら千葉県北西部、横浜市、山梨県東部のどこかが震源となって、3か所から5か所の震源が共鳴したような複合地震、関東地震の発生も迫ってきているのかも知れない。

珠洲市で地震が発生する場合、11月2日から起算して14日以内、震源はルート279号線に沿った地域、震源付近の最大震度は6になる可能性があり、この地域に措ける一連の地震活動はまだ収束していない。
どちらかと言えば、これからの可能性が高い。

関東地震に付いては、このまま北関東の地震が続く場合、1年以内に大きな地震が発生する可能性がある。
この場合、少ない統計的傾向を参考にするなら、千葉県北西部、山梨県東部が震源となって始まった時は、最大震度6強、横浜市付近を震源として始まった時は、最大震度は7となるが、これも2011年の東日本大震災以降、過去の統計的傾向は崩壊しているので、必ずそうなると言う保証はない。

直近で言うなら、能登半島の人は今この瞬間から比較的大きな地震に備えた方が良いし、関東にお住いの方は、今後周囲に普段とは微妙に異なる現象が発生していないか、注意しながら暮らして頂く事をお勧めしたい。


[本文は2021年11月2日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]

「異常地震」

千葉県沖の太平洋には「太平洋プレート」「フィリピン海プレート」「オホーツク海プレート」と言う3枚の大きな地殻プレートがぶつかっている地点が存在する。

通常の力学概念からすると、エネルギーが大きくなる3点衝突部分は沈み込み圧力の為、最も深くなる構造を想定し易いが、実はこの3点が鬩ぎ合う地点は最も深い部分には存在せず、比較的浅い深度9000mの海底に存在している。

「相模トラフ」はこうした3枚のプレートが織りなす複雑な力学関係の上に、「オホーツク海プレート」へ沈み込む「フィリピン海プレート」の上に乗った状態、或いは過去の小さなプレートが挟まった状態の上に乗った2重、3重構造の力学関係が想定されている。

フィリピン海プレートの沈み込み構造は、通常用いられる日本海溝とのプレート沈み込みモデルほど安易な構造ではなく、不規則な角度分岐点を持っていて、滑らかに沈んで行くのではなく、或る部分では緩やかに、少し先は激しい角度で沈み込んでいる。

こうした構造から、或いは過去に破断した小さなプレートを挟み込んでいる可能性が在り、万一こうした構造体が外れて行く時が在る事を想定するなら、そのエネルギーは現存するエネルギー単位では現わせない程、大きなものになる可能性も0とは言い切れない。

またフィリピン海プレート上には海底火山帯が形成され、この北端が伊豆近海に存在する数百の海底火山であり、通常はこの近辺で発生する地震と北関東の地震は区別されるが、その深い部分を考えるなら相模トラフはフィリピン海プレートの一部、若しくは最も関係の深い構造要因と言う側面を持っている。

近年「異常地震」や「異常震動」と言った表現が出てくるが、例えば震源が200kmを超える深さの場合、東海沖震源で北関東が最も震動を感じるケースは、或る意味通常の範囲であり、これを異常と概念するのは若干過大表現かと思う。

2021年10月21日、17時に発生した東海沖の地震では、北関東が最も大きく揺れたが、震源が300kmを超える地震の場合、その震動がどの地点に影響を及ぼすかを想定することはできない。

丸いケーキをその中心をすべての交点として切った時、ケーキの中心付近の距離は小さいが、外側になるほど距離は長くなる。
これと同じ事が地殻震動力学にも当てはまる事は1970年代でさへ、学会では常識だった。

震源と離れた地点での震動は、震源が深い場合、通常の範囲だった。
これを異常震動、異常地震と呼ぶのは不適切だと思う。

また関東直下型地震の前兆現象としての北関東の中規模地震の頻発は、北関東震源の地震のみをさしている訳ではなく、こうした震源の深さから来る、離れた地点での震動も含めて、関東直下型地震の前触れと見做すべきで、相模トラフはまことに微妙なものの上に乗っていると考えた方が良い。

ちなみに首都直下型地震の震源は相模トラフの両端を震源とするケースが少なくない。
安政江戸地震では一番大きな震動が千葉県北西部、荒川付近で始まり複合して大きな地震となっている。

1923年の関東大震災の時は神奈川県西部、山梨県東部、それに相模湾のどこかが震央になった複合地震だったものと見られていて、この図式は1703年の元禄江戸地震も同じだった。
つまり関東直下型大地震の震央は、その多くが東京以外の関東なのである。

震源地点、震源の深さの如何を問わず、北関東に震度3から震度5クラスの地震が多くなって来たら、その次来るものはマグニチュード7以上、最大震度6強以上を想定しておく用心深さは必要だと思う。

最後に2021年10月20日、熊本県阿蘇山が中規模噴火したが、この際空気振動は火山付近でも観測されず、現在は小康状態になっているが、北陸地方の一部地域では2021年10月21日、9時前後に2回、11時頃に1回の空気振動を観測した。

この内1回は震度3クラスの衝撃が在ったことが報告されていて、この地方で発生する空気震動と九州南部火山帯の噴火とは40%程の関連性が疑われる。
偶然かも知れないが、現実に4割ほども重なると、科学的根拠を超えても、この現実を無視できないものと考える。

1週間以内に、阿蘇山はもう1度中規模以上の噴火を起こす可能性があり、備えて頂く事をお勧めする。

[保勘平宏観地震予測資料編纂室] 第4022号公開通知
資料編纂責任者 浅 田  正

[本文は2021年10月21日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]

「千葉県北西部地震に関して」

気象庁の緊急地震速報の計測モジュール、エンジンは改良されて来てはいるが、原則範囲測定方式であり、どれくらいの範囲に振動が伝播したかに拠って、地震の大きさを判定する方式となっている。

揺れの大きさを現す単位の震度とは、やはり「規模」の事を指しているので、こうした方式は間違っている訳ではないのだが、例えば半径50kmの円内に1秒ずれた状態で2つ、3つの小さな振動が発生すると、その震動伝搬範囲が大きいと判断し、巨大地震が発生したものと判断してしまう。

また本震動より1・7倍早く伝わるP波を測定する数値である為、震源に近いほど間に合わない状態になり、震源から遠いところほど緊急地震速報は間に合う状態になる。
震源の真上に存在している場合、揺れ始めてから緊急地震速報のアラームを聞くことになる。

関東地震、関東大地震と概念されるものは、今のところ仮説でしかないが、複合地震である可能性が高い。
関東平野には中規模地震以上の震源となった箇所だけでも100を超える震源が存在し、この他に東京湾、相模トラフでは100年周期と400年周期の、巨大地震の震源域が在るとされている。

この内400年周期のものは、100年周期地震を包括して巨大化するものと見られる為、同じ関東大地震でも安政江戸地震と1923年の関東大震災では、その規模に30倍以上の差異が生じている。

相模トラフは千葉県沖から神奈川県南部海域に及ぶプレート境界だが、これには数本のヒビが連動していて、その1本が東京湾に沿って関東平野に及び、関東平野は事実上カタカナの「キ」に近い形状でヒビが入った状態になっていると考えた方が分かり易いかも知れない。

相模トラフと南海トラフの関連性は深く、多くの場合、相模トラフ上で発生した関東地震の数年後、あるいは直後に南海トラフ地震が発生している為、関東地震はそれが独立したものではなく、南海トラフ地震の前震と言う側面も持っている。

元禄江戸地震は1703年、その4年後には宝永南海トラフ地震が発生しているが、この傾向は安政江戸地震の前後、1940年中期も同じであり、事実上元禄江戸地震と1923年の関東大地震の発生メカニズムは同じであると推定されている。

つまりこれらは南海トラフ地震の前震と言う事なのだが、こうした大きな地震が発生する10年から2年前には、相模トラフに続く関東平野のヒビの北限、千葉県北西部、茨木県南西部、栃木県南部での中規模以上の地震が多くなる傾向を持つ。

安政年間、1923年の関東大地震の数年前には地震研究が活発になり、安政年間では市井の人々の前兆記録が多く残り、1923年の5年前くらいから日本の最高学府でも地震の研究が盛んになるのは、こうした北関東の地震が頻発してきた為、世間の関心が高くなってくる事を反映したものだ。

北関東内陸部の地震が頻発してから、関東大地震に繋がるまでの期間は長い時で7年、次に5年、2年と言うバラツキが在る。
また2011年の日本海溝地震発生から以降、従来の周期地震予知法は、不安定化してきている事から、こうした連動性関連期間は、遠くなるか、近くなるかの激化傾向を持つ。

近い場合は2年という時間的余裕がない可能性も出てくる。

災害と言うものは国力に比例して大きくなったり小さくなったりする。
2021年10月7日に発生した千葉県北西部の地震は最大震度が5強だったが、もしこれが仮に1990年だったら同じ被害が出たかと言うと、おそらく今回発生した被害の10分の1にも及ばなかったかも知れない。

真新しいインフラに現在65歳になっている者の当時は35歳だ・・・。
無理をしていて手が付けられなかったインフラに、往時を過ぎて足腰も鈍った状態では、どうしても被害は大きくなる。
今一度自国の国力を謙虚に見つめ、災害対策を講じて措かないと、「想定外」や「かつて無い」と言う言葉だけが増えてくる事になる。

後出しなってしまうが、実は10月5日、千葉県では秋に桜の花が咲いていると言うニュースが報道されていた。
しかしその本数が10本前後だった事、体調が優れない事から、一抹の不安を覚えながらも、私は静観した。

10月7日、千葉県で発生した地震は、震度5強と言う微妙さだった。
1986年なら、私は震度5強の地震で何か意見を言うことは無かっただろう。
被害がほとんど出ないからだが、こうして30年も経つと多くのけが人や、インフラの破損が出てくる。
あらためてこの国の衰退と自身の衰えを感じざるを得ない。

そして秋に咲く桜と地震の関係だが、結果から言うと多分関係はない。
だがこうした植物の異常は高い気温に連動している事が多く、同じように古来から高い気温の年は大地震が起き易いとされている。

秋に咲く桜と地震には全く何の関係もないが、高い気温の時は同じ傾向を持っていると言う事なのであり、一方こうした傾向を絶対的と考えれば、そこに「道」を作ってしまう。

道とは何もないところに偶然存在する傾向を信じてしまう事であり、人はそれに当てはめ、その通りになる事をして信じるが、実はそれに当てはまらない時を否定しているからこそ、それが絶対的と信じてしまうのである。

この世の確率は、良いか悪いかだけなら、どんな小さな場面でも大きな場面でも、必ず五分五分のもの、つまりそこに「道」はないのだが、そこに道を見てしまうからこそ、「人」と言うものかも知れない。
信じる事の愚かさを知り、道の危うさを知って猶、それしか手がなければ「道」を信じるも悪くないだろう・・・。

北関東内陸部で中規模以上の地震が頻発した時は、早ければ2年後に関東大地震と言う事を、どこか頭の隅に入れて措いて頂ければ幸いです。

相変わらずの不調ゆえ、言い放しの乱文、誤字も多いかと思いますがお許しいただきたく・・・・。
お問い合わせに付き、回答させて頂きました。

[保勘平宏観地震予測資料編纂室] 第4021号公開通知
資料編纂責任者 浅 田  正

[本文は2021年10月9日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]


「珠洲市震源地震に関して」続

前回、2021年7月22日の事例として、奥能登ではケヤキや柿、桜、スモモなどの広葉樹が春に新芽を付けながら、夏にもう一度新芽を付ける現象が広範囲に観測された事を記録させて頂いたが、この現象はその後も収束するには至らず、2021年10月5日になっても、色の悪くなった葉の先に鮮やかな新芽を付けた広葉樹、ケヤキ、桜、柿、栗などの枝が風にたなびいている景色は、この先に到底楽観をもたらす事が出来ない。

この件に付いて前回、7月22日の事例の時も相談させて頂いた、石川県自然史資料館、中野学芸員に意見を求めたが、確率的に絶対あり得ない訳ではないが、過去、10月になっても新芽があちこちで出ると言う事例は残っていないとの事だった。

原因として異常な気象が挙げられると言う事だったが、記録に残すとき、どの気象現象をその因とすれば良いかを訪ねた私に、「植物の生育は総合的なものですから、ここは唯、存在した現実のみを記録することが大切で、その原因については記録さへしておけば、50年後、100年後にはもしかしたら、その原因が判明する時があるのかも知れません」

彼女のこの自然に対する真摯で謙虚な言葉に、私は思わず眼がしらが熱くなった。

一方こうした植物の異常と関連付けてはいけないとは思うが、唯事実を記録するなら、その科学的関連を見出すことはできないが、同時期に能登半島珠洲市に微震が続き、9月16日には珠洲市で震度5弱の地震が発生した。

唯、この震源域では過去震源付近で震度6の地震が発生している事から、9月16日の地震を本震とするか、あるいは前震とするかと言う判断では、本震はまだ来ていないと考えて措く慎重さは必要ではないかと思う。

事実9月16日以降も中小規模地震が連続している。
通常震度5弱くらいの地震で余震が1か月も頻繁に続く傾向は少ない。
相変わらず時々「ゴー」と言う音が聞こえたり、軽度の空気振動現象も発生している。

北緯37度27分、東経137度15分から北へ30km上がった地点を中心として、半径30kmの地点のどこかを震源とする震度6の地震を警戒する必要がある。

この場合輪島市では震度5、新潟県沿岸でも震度5を観測する地震となる可能性がある。
2021年10月5日21時から少なくとも2週間は警戒する必要がある。

地震は晴れた日の風のない時に来ると大きくなる。
40年前、こう言っていたらみんなに笑われたが、今ではその話を私に解説してくれる人がいるくらい広まった。
続けていて良かったとつくずく思うが、では雨の日は大きな地震が来ないのかと言えばそうでもない。

雨の日に来る大きな地震は雨を止めてやってくる。
実は1993年2月7日に発生した珠洲沖地震では、同地震発生時刻の22時、日本海を低気圧が通過中で、珠洲市は大荒れの状態だった。

ところが地震が発生する22時27分の5分前、突然嵐が止んで空には月が見えていたのであり、風も止んで穏やかになったところへ地震が来る。
そして地震が発生して4分後、大嵐はまた復活して来たのである。

同様の事例は新潟県中越沖地震、北海道釧路地方の地震でも存在し、大きな地震の場合は天気が荒れていても、その天気を無理やり晴らして、大きな地震がやってくるものなのかも知れない。

体調がすぐれず、不安定な文章になってしまった事をお詫び申し上げる。
何となく、緊急を要する気がして、本文を掲載させて頂いた。

何も来なくて、私が嘘つきになるくらいの事で済むなら安いものだが、何か有ったとしたら、これを掲載しなった事を私はきっと悔やむゆえ、本文を掲載した。

[保勘平宏観地震予測資料編纂室] 第4020号公開通知
資料編纂責任者 浅 田  正

[本文は2021年10月5日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]

プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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