「基礎生産力」



森高千里 『渡良瀬橋』 (PV)・・・・・

財政の概念は、古くは朝廷を維持する経費に由来するが、この朝廷維持経費の中のかなりの部分は「力」、つまり軍事費用に充当される為、朝廷成立と同時期に軍事費用の中でも最も重要な「糧秣」(りょうまつ)を中心に考えられる傾向があった。

中国古代王朝、例えば「周」の没落から始まった春秋戦国時代中期以降からは、群雄割拠の状態から殆どの事が軍事に関する概念に切り替わり、糧秣、食料は通貨と同意義に換算されるようになり、この概念は以後2000年以上続く事になる。

財政を考える上で通貨の本質を考えるなら、それが現在であれば「金」に対する交換レートとなるが、同じように糧秣、食料も通貨の交換レートだった歴史は、つい最近まで成立していた。

最も近いところでは、1980年代、スウェーデンのポップミュージックユニット「ABBA」が現在のロシアでコンサートで開催したおりの対価は、困窮する同国家通貨での決算ができず、大量の食料に拠って決算された背景を持つ。

そしてこのように糧秣、食料を通貨に置き換え、軍事方面から見てみると財政の仕組みや傾向がどう言う方向性を持つものかが理解し易くなる。

通貨は基本的に国民が働いた対価であり、この意味に於いて国家はその対価以上の通貨を発行できない。
この仕組みは食料に換算すると解かり易いが、行政、立法、司法の三権を独占する朝廷や王政と言えども、食料の生産は農民、民衆が生産する石高と言う現実の上限を持つ。

従ってこの上限の中でやりくりはできるが、現実に生産される以上の食料は存在しようもない。
旱魃やイナゴ被害に拠っても安定せず、この意味では軍事的に食料がどこに在るのかが重要になり、これが民衆の手に多く存在しているのでは軍事糧秣が不安定になる。

戦争につぐ戦争の中ではどれだけ糧秣が有っても多いと言う事は無い。
方や一般大衆が備蓄する食糧は、それが現実に食べられるまでは、通貨と同じように意味を為さない。
軍事的には民衆に多くの食料が眠っているのでは「非効率」と「財政融通の縮小」と言う事になる訳であり、できるだけ民衆の手元に食料を置かせない、つまりは税に拠って搾り取る事で軍事糧秣を安定させ、それをして国家の安寧がはかられる。

この意味では為政者に取っての理想は「国民は死なない程度に生かしておく」のが一番理想で、軍事も経済も政治も基本的には同じ事で有るから、財政のこうした方向性は時代や政治思想が変わっても本質は変化しない。
ある種の人間の「業」、本能に近い基礎的な社会システムなのである。

世界中の国家がデフレーションを嫌い、インフレーションを求めるのは、こうした人間の「業」、人間が持つ社会的基礎システムに由来し、デフレーションは国民の側に食料が分散されている状態であり、この状態では政府や為政者は思い切って戦争、経済対策も同じ事だが、これを行えない。

それゆえ増税と共に、インフレーションに拠って国民の蓄財を政府に集める方向性を好む。
もっとも国家の始まりは一つの家族の単位から始まるから、こうした傾向は個人や家族の単位から既に競争概念なのだが、簡単に言えば、個人や家族が溜め込むものを少なくして、これをより多く社会に流通させる事をして財物の「効率性」を高める事を意図する。

朝廷や王政に代わって民主主義が闊歩する現在、集められる財物は民衆の暮らしを安定させる為と言う名目を持つが、これは名目が軍事糧秣から「民主主義」に変わっただけで、一般大衆は増税と自身が蓄財した財物が徴収されるだけと言う、古代から続く仕組みと全く同じである。

通貨は国民が働いた対価、現在ならGDPを上限として考えられなければならないが、例えば古代でも食料の備蓄がどれくらい在るのかは民衆が知る事は無く、自然災害のありように拠っても変化し、それを具体的に認識する事は困難だった。

また来年の食糧生産を見込んだ予算なども存在し、この意味では財政は上限が存在しながら、その幅が年代を追うごとに不透明になって行き、現在の世界経済のように「予想」によって投資される株式経済では、通貨と言う仮想の上に更にもう一つ仮想が乗った状態で、既に限界すら誰も理解できない状態になっている。

しかし世界中の人々によって生産されるものは上限が存在し、食料も限界が存在する。
仮想の上に乗った仮想と、世界が持つ限界と言う存在はいつか必ず衝突する。
日本などは既に高齢化で殆ど全ての端末生産現場では生産が減少し、これを機械化と他国労働力によって補っているが、その実態は華々しい国家的基礎生産力の低下が発生しているのであり、これらが財政の不透明化によって成り立っている状態である。

通貨や株式は無限の可能性を持っているかのように見えるが、軍事糧秣の事を考えると良い。
食料の生産、それ以外の全ての物品もまた人間が作っているのであり、その人間には限りが存在するのである。

今年もまた3枚の田がイノシシによってあらされてしまったが、大きな粒が一つの穂に120粒も付いた、一番良い米ができた田から順に荒らされて行った。
弱肉強食は生物の本質であり、「天からの預かりものなれば、その天の采配によって起こった事に対し抗う(あらがう)事はできない」

私は見事に荒らされた田を眺めながら「あの者ども、中々派手にやってくれたな・・・」と、笑うしか無かった・・・。
仔細な事だが、これが今の日本の現実であり、軍の糧秣の事を考えるなら、この事は経済や政治も全く同じ、同じ景色のように見える。

さて、遅れていた稲刈りも終わった・・・。
明日からはこれも遅れている仕事を頑張らねば・・・。

「金じゃ、金じゃ・・・・」(笑)




関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

月別アーカイブ