信・第四節「約束」

https://youtu.be/h7z1aF2uL8o・・・・


何も無い部屋に一辺が1mの白くて正確な正方形の立方体が置かれ、そこに人間を入れて観察していると、彼、彼女は特に指示もせず頼みもしていないのに、必ず其の正方形が汚れていないか、或いはどこか欠けたところがないか、はたまた全体的に歪んではいないか、置かれた場所が部屋全体の中で違和感が無いかなどを探し始める。

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だがこの逆で、何も無い部屋に人間を入れて置くと、彼や彼女はその中で壁板の節穴を三つほど繫げて、人間の顔に見えるかも知れないと思ったり、床のシミがどこかの国の地図に見えるかも知れないと思ったり、或いは何でここに机が無いのかと思ったりする。

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この様に人間の思考方向は「何かを探す」方向へと常に動いているのだが、正方形ではそれが瑕疵(かし・まちがい)がないかと言う壊れている、或いは破壊が想定された探し方になり、片や何も無ければ形を見ようとする、「創る」と言う方向へ動いて行く。

つまり人間の思考方向は形が揃っていればそれを壊す方向へと動き、形が無ければそこに形を創る方向へと動いて行くのである。

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「信」の発生原理は基本的に「約束」であり、「行動」は相手の錯誤を利用するなら「約束」になるが、この場合は相手が錯誤を錯誤しないような一貫性が必要になる。

相手が理解できる範囲での「行動」でなければ「信」の中に「疑」が発生する。

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「信」もまた冒頭の正方形のようなもので、明確にそれを示すと、人はここから「偽」や「疑」を探し始め、「約束」の無い関係では相手側が何らかの関係を見ようとする。

行動から相手が「信」を探し始めるのであり、この事を考えるなら「信」を求める者の「信」は壊される方向へと動き、「信」を求めない、「信」を厭う(いとう)者は他者に拠って「信」が築かれようとする。

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「信」には自己と他と言う二つの要素が存在するが、自己の信は他に拠って築かれ、他者の信は自己が築くものであり、しかもこれはいつでも「疑」に変換される可能性が在る為、基本的には独立しながら期間や環境、利害関係が心情に拠って共有されたと仮定された状態のものである。

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言葉や行動は「約束」を生み、その約束は「信」に拠って縛られる。

「信」は約束が貫徹終了されるまでの「心の手形」なのであり、この手形に永遠は存在しない。

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愛し合った二人の心は、実は瞬間ごとに変化しながら「信」が継続しているように見えるが、これは「信」が疑われない、疑うに資する行動や言語がないと言う、「信」の一番下の要素が守られているに過ぎない。

そしてやがて、言葉や行動で「信」を確かめる必要の無い距離感が形成されると、そこに「信」が必要とされない関係が現れる。

この状態が「信」の最上部と言える。

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「信」を恐れるなら「約束」をしない事であり、人から「信」を得ようとしない事である。

黙々と自身が為せる事をやり、人から良く思われたいが為安易に約束をしない、簡単に言えば安易に言葉を使わない事であり、言葉とは基本的に「縛り」だからである。

「信」はそれを厭う者を好む・・・。

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雨が降ってきた・・・。

この雨の中2km離れた投票場へ行き、地元名士やら市の職員、総勢10人ほどのいかつい顔をした立会人が並ぶ畳の間、有権者の姿は一人も見えない投票箱へたどり着かねばならぬのは辛い・・・。

穴の開いていない靴下を探しに行くのが既に面倒くさい・・・。

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やれやれ・・・、権利とはとても辛いものだな・・・・(苦笑)







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