2009/04/20
大日本帝国憲法
1889年明治22年、2月11日に発布された大日本帝国憲法が効力を有した期間は、1947年昭和22年、5月3日までの58年間である。この半世紀に日本は国際社会への台頭と敗戦と言う、1つの大きな生き物が生まれて死んでいくような歴史を辿った。
この大きな生き物こそが大日本帝国憲法とも言え、昭和天皇裕仁の治世はあたかも終焉に苦しみもだえる、この大きな生き物の末期の姿に重なるのである。
大日本帝国憲法は3人の天皇を迎えたが、明治天皇は封建社会の宮廷に生まれ、若年で天皇となったため、明治時代の日本が近代化への道を歩みながらもなお旧時代の名残りをとどめていたのと同じように、明治天皇の周囲も依然として旧時代的な要素が多く残っていた。
大正天皇はきわめて英邁な人であったが、不幸にも病弱であり、その天皇在位期間も短かったが、裕仁昭和天皇は大日本帝国が確固とした時代に生まれ、先の2人の天皇に比べて十分な学校教育、また家庭教師による近代的な教育を受けた。
王または皇帝がその位に相応しい徳を身につけるのは、1つはその置かれた環境と立場、そしてもう1つは側近の進言によって自分で会得するものなのだが、裕仁天皇は、帝王学と言う君主の為の特別な教育を受けた最初の天皇だった。
それゆえに裕仁天皇に関して伝えられる話は、天皇が篤実で、自制心に富む性格だったと言うエピソードが多く、こうした性格と周囲の教育により、天皇は国際社会と平和に対する鋭敏な感覚を持ち、生物学の研究から合理的科学を学び、しかも克己と無私の処世に徹する君主として成長した。
大日本帝国は裕仁天皇をして、近代国家にふさわしい近代的天皇を迎えたのである。
だが、こうした天皇を迎えた大日本帝国は、およそ天皇がその才気を発揮するには程遠い環境だった。
その原因が「大日本帝国憲法」に内包されている・・・、大日本帝国憲法は天皇の親政を強調してはいるが、実際は天皇を政治的に責任の無い立場に置き、天皇の権限は輔弼者の決議によって行使される方式になっている。
これは大日本帝国憲法の利点でもあり、欠点でもあったのだが、天皇を被害が及ばない地位に置くという点では良くても、天皇の名前を使って輔弼者が権限を行使できるという体制は、権力者、輔弼者である臣下もまた、最終責任を負わなくても良い立場にあると言うことだ。
これは明確に欠陥と言われるべきものだが、昭和前半の大日本帝国の歩みは、まさにこの大日本帝国憲法の欠陥が利用される形で進んでいった。
裕仁天皇が即位してからの政界、財界、軍部の動きを辿れば、一方で天皇を神格化しながら、現実には天皇を小バカにしていたような印象が拭い去れない。
こうした意味では大日本帝国憲法下の天皇も日本国憲法下の天皇もあまり変わらない立場だったように思えるが、国民の胸中には天皇の真面目で律儀な姿がその目に焼きついていた。
「天ちゃん・・・・」とは戦時中にも影で言われていた天皇の俗称だが、この呼び方には天皇を軽視すると言うよりは、欲が無く、率直な天皇の人柄に対する国民の信頼感が伺われるように思う。
敗戦により大日本帝国が崩壊していくとき、しきりに叫ばれるのが「国体の護持」だが、この解釈についてはいろんな定義があるだろう・・・しかし乱暴な言い方で申し訳ないが、結局「国体の護持」は「天皇の護持」だったとここでは言わせて貰う。
個人でも国家でもその体制を維持する為には規律の根本となるものが求められる・・・・、国家の場合はそれが政治的イデオロギーであったり、宗教であったりするのだが、日本では個人主義に基づく民主主義の発展は遅れ、大日本帝国時代ではそれに逆行するような形だった。
宗教も国民全体が対象になるものはなく、国教とされた神道でさえ実際には宗教と言うより、一つの精神論だったとしか言えないもので、仏教、キリスト教もそれぞれに分立した形でしか存在しなかった。
唯一継続して安定した存在が「天皇」だけなのである。
だから国民の合意、誰もが何とか納得できる方法を求めるには、政治体制、宗教でもそれを満たすには至らない・・・結局は全て天皇に帰結する以外ない。
調子の良いときは利用し、まずいことが起こるとすがりつく・・・大日本帝国時代に裕仁天皇に示したそうした政治の姿勢は、そっくりそのまま大日本帝国憲法の持つ運命的自滅プログラムによるもの・・・とも言えるのである。
だが、この構図は現代でも変わっていないようにように思う。
おそらく今でも政府が瓦解したとき、国民はやはり天皇を頼るに違いない、またこの国家が未曾有の危機に直面したとき、日本国民は暗黙のうちに天皇と言うものを頼って、その統一性を維持しようとするに違いない。天皇とはそう言う立場なのである。
大日本帝国憲法は権力とその責任の間に隙間があった・・・だからみんな散々好きなことをやって、誰も責任を取ろうとせずに最後の責任を天皇に押し付けたし、天皇はその立場にあったが、こうした構造は今の日本国憲法にも同じものがある。
平和憲法をうたいながら、その実それを担保しているものが無い・・・今迄は何とかごまかしながらアメリカがその役割を果たしてきたが、こうした状態を長く続けていると、またいつか何か大変なことが起こりそうな気がするのである。
いきなり決着をはからなくても、現内閣の前大臣までが、「核武装」を言葉にし始めるに至っては、平和憲法をどう維持するか・・・つまり武力にするのか、外交努力を充実させるのか、それとも理想や誇りだけ高くなって、何の手も打っていない現状を継続するのか・・・そろそろ議論し始めるときが来ている・・・と思う。
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