2009/04/24
世論調査と言うもの
最近の選挙におけるテレビの開票速報では、出口調査による当確報道の競争が熾烈になっているが、これは投票日当日、投票所の出口で実際に投票を済ませてきた有権者にどの候補者を投票したか、どの政党に投票したかを聞き取る調査方法で、対象となる投票所を適切に選定すればかなり高い精度で候補者の当落が予想できる・・・としているが、この場合は全ての人が回答してくれる訳ではなく、現在でも科学的に理論として確定していない調査方法である・・・。つまり、外れても責任は持ちませんよ・・・と言うことであり、その表現が「当社が行った出口調査では・・・」となっていることから、一応公的な「お墨付き」のある調査では無い、としているのだが、視聴者がこうした報道から受ける印象では、テレビに当確が出れば「当選した」と錯誤するのは、避けられないことである。
例えばここに1993年7月の衆議院総選挙のデータがあるが、投票日の18日のテレビ各局は当確早打ち競争を競いあい、そのため当確の打ち間違えも相次いぎ、NHK2件、TBS2件、日本テレビ4件、フジテレビ3件、テレビ朝日6件、テレビ東京2件・・・と、東京のキー局は軒並み当確発表のミスを発生させていた。
また週刊誌、新聞、最近ではインターネットでもそうだが、選挙が近づくとその予想調査を実施して、当落予想を報道するのが恒例となっているが、この調査方法の根底は不明瞭なうえ、特に新聞、テレビの予想などは調査方法さえ明確になっていないにも拘らず、報道により「勝ち馬に乗ろう」とする有権者意識がはたらき、これが投票日当日の有権者の投票行動に対して影響しているのではないか・・・とする意見もあり、こうした現象を「アナウンス効果」とも言う。
確かにこうして当落情報に近い情報がマスメディアによって報道されると、有権者の意識の中に予断、つまり決定事項ではないが、そのように錯誤してしまう現象が起こる可能性は否定できず、自民党はかねてより選挙予測報道に対して規制を加えようとして、野党の反対にあって実現しない状況だ。
だが候補者がマーケティング・リサーチ方式で選挙区の人々の関心やその方向性、相手候補の支持基盤などを調べることは、いまや当然と言えば当然のことであり、各種調査方法を駆使しての選挙は、候補者を始め、これらの候補者の運動を報道するマスメディアにも広がっている。
またテレビの「世論調査」だが・・、事件発生とともに世論の動向を迅速に調査し、発表することを狙いとしていて、電話調査で行われるのが一般的だが、1992年に発生した東京佐川急便問題の頃から頻繁に行われるようになり、テレビの情報番組や報道番組などで活用されている・・・が、調査対象者が1000人からせいぜいが3000人、その内平均の回答率は60%台から80%台・・・時には600人の意見が国民全体の意見として発表されている場合もあるので、見る側はこうしたからくりがあることを認識しながら、その信憑性を判断する必要があるだろう。
更にこれはインターネットもそうだが、近代の情報はそのスピードに重点が置かれていて、「質」はおざなりの状態になっている。
このことは非常に危険なことなのだが、例えば間違って誰か特定の人が何らかの事件の容疑者にされてしまった場合、よしんば翌日に無実が判明したとしても、既に何らかの被害が発生してまうことであり、こうした事態では選挙においても実際には有力な候補を、投票日前日、間違って不利だと報道した場合、その候補者は報道によって本来当選すべきところを落選する可能性もあり得るのである。
近年報道関係・・・特に新聞、テレビなどのマスメディアはそのスポンサー契約をインターネット業界に奪われつつあり、経営が苦しくなってきていて、地方であれば行政と共同事業を起こしていたり、行政を利用した形での事業収入に依存している傾向があり、こうした関係から特定の候補者が恣意的に貶められたり、反対に本来不利な候補者が、有利と報道される可能性が否定できない状態となっている。
また一部地方新聞の中には、映画などの製作企画を行政に持ち込み、「地域おこし」として映画を製作・・・そのチケットを行政が売っていたり、商工会議所が協賛して懐の苦しい中小企業に10枚単位でチケットを買い取らせたり、と言うことが行われているとも聞く。
こうした傾向はおそらく中央紙でも同じことが起こってくるだろうが、それより深刻なのは現場記者の不足であり、経営の苦しさから現場を取材する記者の数は年々減らされていて、そのため現地の本当の声は届かず、上辺だけの軽率な状況が報道され、真実が報道されなくなることである。
このことが地方における政治的腐敗を容認し、地方経済が堕落していく要因の1つになり、また報道機関が報道の自由を、弱く攻撃し易い者に向け巨悪に目を瞑るなら、国民はそれによって希望を失うだろう。
今年は確実に衆議院の総選挙が実施される・・・私たちは労を惜しんではならない、自分から足を運んででも候補者の話を聞こう、そして自分の目で耳で確かめよう・・・今後の未来を託す男、女を決めるのに家で寝転んでテレビ、インターネットでは、その未来も程度が知れている。
メディアの問題は根深い・・・でも自分の未来をそうと知っててメディアに依存し、それで選択の謝りがあった・・・メディアのせいだと言うのは無責任だ・・・・自分の未来は自分が決める・・・これが民主主義であり、その責任でもあるのだ・・・。
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