「田分仙人と編集者」・Ⅱ

「きさま、わしを馬鹿にしておるのか、この大たわけが、帰れ、さっさと帰って二度と来るな」
「先生、どうか勘弁してください、メールが来たら3分以内に返さないと、シカトされたと思うのが今の世の中なんですよ」

「3分以内だと、親でも死んだのか、そんな急ぐ用事なのか」
「いえ、そうじゃなくてそれが社会の決まりなんですよ」
「このたわけがまだ言うか、社会が決めただと、社会の一体誰がそんなことを決めた、俺が決めたと言うヤツをここへ連れて来い」

「先生、堪忍してください」
「二俣、ここへ来るようになって何年経つ」
「二年です」
「まだわしの言ってることが分らんか」

「政治が民衆に擦り寄って、あらゆる細かいことまで政治が責任を取ろうとすると、そこから生まれるものは大衆の堕落であり、必要も無く細かく線引きされた窮屈な社会だ、分るか」
「はい、分ります」

「同じように人間の暮らしもそれが便利になればなるほど、より細かい所にまで物が入ってきて、今ではどうだ人間の心にまで物が入ってきて、それが形を為そうとしている」
「携帯で話していることは、それは何だ、所詮気分や気持ちを形にしたものだけであり、お前らが緊急だと思っているものは緊急でもなんでもない」

「先に準備して、話しておけば何でも無いものを先延ばしにするから緊急になり、そもそも愛してるやどうしてると言った言葉は仕事中にメールで送るほどの言葉か?」
「そんな事をしていて腹の足しになるか」

「働いて稼いだ金を、気分やおのれの怠惰のために使う馬鹿がどこにおる、それは食う物を買い、着るものを買い、住む所を買い、子供を育てるために使うものだ、自分の気が晴れようが晴れまいがそんなものはどうでも良いことだ、我慢すればそれで済む」

「緊急事態は自分が先に動いていれば緊急ではなくなる」

「我慢すれば済むようなもののために、怠惰が招いている緊急のために、現実の暮らしや、例えば今のように人と接している場面を反故にし、そしてそうした意味の無いものに追われる、そのバカバカしさが分らんか」

「先生、お言葉ですが、携帯は此度の東北の地震のような場合には便利な部分もあります」
「二俣、わしはああ言えばこう言う、口の減らんヤツが大嫌いだが、地震の時は携帯も固定電話も繋がりにくくなって、しかも被災して死んだ人は電話にも出られんのだぞ」

「どこが緊急時には間に合うと言える」
「お前らは本来意味の無いものに意味をが有ると錯覚させられ、怠惰が正当化されたおもちゃで遊んでおるだけに過ぎん、そのバカさ加減が分らんか」

「先生、そうは言っても時代が・・・、みんながそんな社会なんです、それに逆らって遅れてしまっては生きていけないんです」
正座した二俣、そして今はその二俣から少し離れて縁側に立ち、外の庭に顔を向けている笛当院・・・。

「二俣、わしが恐いか・・・」
笛当院は和服の袖に両腕を差し込み、腕組みをしたようにして二俣に問いかけたが、その声はさっきとは打って変わった優しい声だった。

「恐いです、何を言っても怒られそうで、恐いです」
「そうか・・・」
「先生は恐いものは無いんですか」
「わしか・・・、わしの恐いものはわしの目の前におる」

「それは・・・、誰ですか」
「二俣、わしはお前が恐い・・・」
「えっ、それはどう言うことですか」

「二俣、仏像で恐い顔の仏像と優しい顔の仏像ではどちらが恐い・・・」
「それは恐い顔をした方が恐いとおもいますが・・・」
「そうか、わしは優しい顔の仏像が恐い」

「およそ怒りなどと言うものはどの人間も同じようなもので、その表情は分りやすく、決まっている。つまり形があるものと近いものだが、優しさと言うものには形が無い」
「わしは何か正体は分らず、しかし弱く薄く、世の中のあらゆる方向から来る、形の無いものが恐くて仕方ない」

「先生、そんなものが世の中にあるんですか」
「ああ、二俣、お前が言う時代、社会、そしてそれに遅れると生きていけないと思う、その根拠のない形のないものが、わしは恐くてどうしようもない」

「先生・・・・」
「二俣、虎屋の羊羹は随分久しぶりでうまかった、また来い」
「はい!」

「それと編集長には原稿が捗らんので、少し締め切りを延ばしてくれように言っておいてくれ」
「へっ?・・・」











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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
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