「バーチャル・バブル」・1

現在の日本を見ていると、どこかで元禄時代のバブル経済が崩壊し、そこから底無し沼に向かって行く過渡期に似ている気がするが、勿論当時はインフレーション、現在はデフレーションと言う差は有っても、その過程に措ける変化が無いのは、基本的に人間のやることはいつも同じと言う事なのかも知れない。

ただ決定的な差が有るとしたら、現在の時代は民衆の「逃げ道」が江戸期より遥かに「本位制を欠いたもの」と言う事ができる。

江戸初期の段階では膨大な財政蓄積を誇っていた徳川幕府、これが元禄時代初期になると将軍家の浪費と無計画財政によって、或いは積極的に進めてきた農地拡大政策によって生じた、総需要を超えた供給量の「米」価格の相対的下落によって、破綻寸前の財政危機を迎える事になる。

江戸幕府の収入源は「米」による税収であることから、元禄初期までの日本経済は「米本位制」で有り、これに実質80%金含有の小判などの通貨が加わった、非常に実質本位な経済、ある種物々交換並みの原則性を持っていたが、最初にほころびが出たのは「米」だった。

税収が米であるなら、米の生産を増やす方向、より多くの年貢を徴収すれば幕府の財政は潤う、こうした安易な考え方しかなかった当時の徳川財務部門は米の調整計画を持っていなかった。

この事から行き過ぎた米生産拡大は、結果として他の商品から比べると、米の価値を押し下げる傾向が出てきた。
つまり米が他の商品に対してデフレーションを起こしてきたのであり、この状況では米の税収を上げても、その税収上昇以上に他の物品が値上がりしていく事になり、破綻していく。

そこで考えられたのが「萩原重秀」による「金本位制」の見直し、小判の中の金の含有量を減らす政策である。

これは小判の中に含まれる金の含有量をそれまでの80%から60%にまで引き下げ、小判2枚の金から小判を3枚作り出す方式で、これによって一挙に幕府財政は1・5倍に膨れ上がることになり、ここで味をしめた幕府はその後金の含有量を下げた小判をどんどん造り始め、通貨が出回り始めた江戸市場ではバブル経済が起こってくることになる。

これは現在の国際的通貨概念の基礎的な考え方だが、例えば元禄時代の他の諸外国を見ても、通貨は一般的にその金属的価値との等価交換、つまり「金本位制」なのだが、「萩原重秀」はこれを「通貨」と割り切った訳であり、ここにその通貨自体に価値が無くても、それを国家などが保証すれば事は足りると言う考え方が出てきたのである。

勿論「萩原重秀」以前にも幕府の中には小判の質を落として通貨量を増やす考え方がなかった訳では無い。
しかし堅実な老中などの反対に遭い、「萩原重秀」の到来までは、金の含有量を操作することは「詐欺」ではないかと言う意見が大勢だったのである。

寺参りに行く旅費すら事欠くようになった将軍家財政は、いとも簡単にこうした道徳を打ち壊し、連鎖的な過剰通貨供給が止められない、スーパーインフレーション経済へと向かっていったのであり、やがてこうした経済に破綻を見た「新井白石」などによって敷かれた緊縮財政は一挙に国民生活を窮乏に追い込んで行くしかなく、そこから100年苦しんだ後、浦賀にペリー艦隊が現われ、それまでの日本の全てが終わりになる訳である。

振り返って現在安倍総理の債務買取方式による「円」の供給量増加案は、極めて「萩原重衡」的である。
計画が無いのであり、「萩原重秀」が必ずしも通貨の概念、経済の概念から小判を改革したのでは無い、単なる思いつき、その場の成り行きから通貨変造に至った経緯によく似ている。

国際社会経済全体を見渡せる者は今の世界に存在していない。

それほど複雑化した中で通貨信用を下げ、これをコントロールすることは至難の技だが、国際社会は第一次世界大戦付近で一度こうした通貨信用操作による経済破綻を経験してきていて、為に当初「白川方明」日本銀行総裁が円の通貨供給量の大幅増刷には否定的な意見を述べていたが、これも安倍内閣が確定すると、反対しなくなってしまった。

だが、これは基本的に「詐欺」である。

世界経済はこれまで3段階の概念的通貨変化を起こしてきたが、まずは物々交換、そして金本位制、更には信用保証とその実質から離れていくに連れ拡大し、その後大きな混乱をもたらしてきた。

またニューディール政策で有名なケインズの経済論は自由競争経済を社会主義経済へと貶め、そして世界は今や所得税ではなく消費税によって国が維持されると言う、極めてマイナーな国家運営方式が大勢を占めている。

元禄時代のバブルは20年程だろうか、その前には財政危機が有り、その後にも財政危機が発生し、後に起こる財政危機から立ち上がれずにそれまでの国家体制は崩壊、その間日本は火山噴火や地震、それに伴う気象変動による飢饉に見舞われ、こうした中で行われたものは、例えば農地を買う、家を建てるなどのハードを諦めて「食」にこだわったり賭博、買春などに逃げていったのであり、これを後世元禄文化と称したとは言い過ぎだったか・・・。

苦しい現実から離れ、こうしたささやかな欲望を満たすしかない民衆の姿は哀れとしか言い様がなく、人々はこうした中で人知を超えた神や仏にすがり、ここから一部精神的に破綻した状態の「お伊勢参り」、しいては意味もなく人々が踊り狂う「ええじゃないか」が発生してくる事になる。

                                                 「バーチャル・バブル」・2に続く



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