「みずいろのゼリー菓子」

もう10年にもなるだろうか、能登島のガラス工芸工房で修行を終えたばかりの若い女性と数回作品展をさせて貰った事が有り、それ以降連絡がなかったが、数日前に久しく電話が有り、「金継ぎ」(きんつぎ)を教えてもらいたいと言う婦人がいるので、是非家を訪ねたいとの事だった。

「金継ぎ」は割れた陶器の伝統的補修技術だが、割れた陶器の補修技術は大別すると4種有る。

中国北西部で古代に発達した「楔打ち」(くさびうち)、漆と金で補修する「金継ぎ」、膠(にかわ)や現代では接着剤になるだろうか、そんな補修剤を使う方法、それに例えば「しの焼き」のような柔かい焼き物の場合では、内側に漆で布を貼って片面漆器にしたものや、外側から細い糸を巻いて修理する方法が有る。

更に欠落部分の大きい陶器の場合はその部分を石膏で型を取り、焼いて収縮する比率分を大きく作って、それを仕上げた上で「金継ぎ」する方法も有るが、こうした技術には全て上下の技術的段階差が有り、一番簡単な接着剤の補修でも瞬間接着剤とシアノン系接着剤では強度の差が有り、くっつけた後にはみ出た接着剤をそのままにするのか、それとも陶器を削らない強度の刃物ではみ出た接着剤を削るのかと言う事でも風合いに大きな違いが生じ、はみ出た接着剤を削る場合、接着剤が乾燥してからどのくらいの時間で削ったら良いのかと言う部分では、伝統的補修技術と同じような経験が必要になる。

接着剤での補修でもこうした段階差が有るが、これが「金継ぎ」ともなれば更に段階差が有り、一般的に市中でやっている「金継ぎ教室」と、文化財クラスに施される「金継ぎ」では全く別の技術になってしまう。

私はどのクラスの技術が必要か彼女に尋ねたが、それも含めて家を訪ねたいと言う事なので、早速天気図を検索して5月19日の午後ではどうかと言う事になり、そして田植えをしていると、5月19日の昼過ぎから雨が降り出し、田植え機にシートを被せて片付けをした私は、来客到着予定の30分前に湯を沸かし彼女等が来るのを待っていた。

10年ぶりに再会した女性は以前より輪郭がはっきりした女性になっていた。

おかしなもので人間の輪郭はその体格や行動が能動的で有るか、また受動的で有るかに関係なく、どれだけその人間が自己を集積させているかによって違ってくるように見える。
自己は「他」によって形成されるが、ここで自己を集積した者と言うのは「他」との間に境界線が鮮明になり、そこが人間の輪郭を際立たせるような気がする。

10年前の彼女は地域作りのリーダー的な事もやっていて、アクティブな女性だったが、現在よりは輪郭が弱かった。

だが結婚し、4歳の長男を連れた彼女はもう地域がどうのこうのとかと言う事は語らず、結婚相手が経営する喫茶店の経営が厳しいので、現在は営業職のパートをやって何とか暮らしていると話し、傍らでは男の子が出した菓子を次々食べている姿を見ていながら、私は彼女が随分と大きく強くなった、また魅力的な女性になった・・・、そう思った。

自己を「他」などの大きなものに使おうとすると、そこに自己と「他」が曖昧になるが、これが自分の為、子供の為、家族の為となると自己がくっきり浮かび上がり、そこが力や人間的な美しさになるのかも知れない。

同伴の婦人は私よりも年齢が上だったが、現在流行の「美魔女」と言うような事ではなく、年齢相応の品位と経験を感じさせ、50歳なのに30歳に見えると言うような無意味な力の入っていない潔い人だった。

30歳に見えようが50歳の事実は変わらない、そこにはしゃぐ愚かさが無いのは嬉しい。

どのクラスの「金継ぎ」を望むかを尋ねると、本格的なものを習いたいと言う事だったので、それには時間と道具を少し揃えなければならない事を告げると、それでもしっかりしたものをと言う事だったが、持参して来た欠けた抹茶碗で少しだけ漆を使ってみた婦人は、これから時間を見つけて50kmも離れたところから月に2回ほどずつ通ってくる事になった。

どんな技術でもそれが人間のやる事であるなら、誰かが出来て誰かは出来ないと言う事はなく、誰でも出来るのが素晴らしい技術と言うものだ。

だから難しい技術ほど技術者は簡単だと言わねばならないし、難しい顔や真剣な顔をしているようでは、その技術が身に付いていない事を現しているようなものだ。
「こんなものは誰でも出来る」と言い、笑いながら、理想を言うなら笑いもせず苦しい顔もせず、呼吸をするように当然の事のように難しい技術をこなす。

そしてその技術は惜しげもなく誰にでも開かれている事が技術者の誇りと言うものだと思う。

また生きていく事、子供を育てる事、物を作ることも全て同じ事で、どんな仕事でもそれを一生懸命やっている、或いは子供や家族の為に必至で生きている事は同じように尊い。

彼女の長男は砂糖がまぶされた色とりどりの矩形立体のゼリー菓子を、積み木のようにして並べて遊んでいたが、恐らくその組み合わせの中に彼独自の世界を見ているに違いない。

「ああ、そうだ、こんなゼリーみたいなガラスの積み木が有ったら綺麗だろうね」
何気なくそんな事を呟いた私に彼女は「本当だ、それは綺麗かも知れない」と笑った。

いつか分からないが、もし自分が生きていたら、もう一度彼女と作品展をして見たいものだ。
今彼女が何をしていようが同じ事だ。
彼女はきっと素晴らしいガラス作品を作る日が来るだろう。
それは唯時間の問題と言うものに違いない・・・・。

だが、彼女に後で連絡をしておかねばならない。
ゼリーと見間違うような積み木だと間違って子供が口に入れたら大変だから、子供の口には入らない程の大きさで作った方が良いかも知れない・・・。

雨の中、去って行く車を見送りながら、そんな事を考えていた・・・。













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