2009/02/14
市民一丸となって・・・。
昨夜は日本海を通過する発達した低気圧のおかげで、この辺は大変な暴風雨になり一睡もできなかったが、朝になるとそんなことがあったのか、と言うような穏やかさ・・・、ガーネットクローの「君という光」、CDをセットして背伸びをする。今日は何かいいことがあるかな・・・。
ま、それはどうでもいいとして・・。
昔、この街にも鉄道が通っていた頃使われていた駅舎、既に使われなくなって久しいこの建物を建て直し、コミュニティーセンターにしたのは数年前のことだが、たまたま高校生の長男を学校に送りに行った帰り道、ここに立ち寄ってみると、大量のカラスがガーガー喧嘩して、人通りも無く建物の隙間風がヒューヒュー・・・と言う感じで、まるでヨーロッパ・ホラー映画の冒頭のような風景だった。
「荒廃している・・・」と言う表現がぴったりなのだが、自然と言うものはやはり大したもので、こうしてその土地の人に勢力が無くなっていくと、1年ごとに何某か人間以外の存在が勢力を拡大していくのである。
通行量が少なくなった道路はアスファルトを割って雑草が顔を出し、周囲の草木はその道幅を少しずつ狭めていく、鳥や狐、狸などが増え、畑や田も毎年雑草の生えている面積が広くなっていく、柿やすもも、梅、桃などの実も収穫されず落ちていくことから少しずつ実が小さくなってきている。
このコミニュティーセンターも作られた当時は街の観光の目玉として、テナントを募集し、いろんなイベントも行われてきたが、結局残ったのは「箱」だけで、数年後にはこうしてホラー映画のセットにしかならずに終わっていくのだろう。
また行政が鳴り物入りで誘致した大型小売店も最近の高齢化からか、めっきり客が少なく、景観を重視した街並みと言うことで整備された市街地も、確かにきれいだがそれだけにどこかで見た街並みのイミテーションの雰囲気しかなく、こちらも京都太秦の映画村が新しくなったような感じで、観光客からも評判が良くない。
そのコミニュティーセンターの左端から寒そうにしながら、高校生達と引率の教師らしき女性が歩いて来たので、声をかけて見たのだが、今日はこの市のイベントで吹奏楽を演奏するとのことだった。
しかし誰もいないこの場所で演奏ですか・・・と尋ねると、その教師は「一応、頼まれましたので・・・」と言う返事だったが、これからしばらくすると誘客した人達がバスで到着する予定もあるようだった。
高校生たちにも話を聞いたのだが、眠い、寒い、と言う意見の他に「演奏を聞いてもらいたい」と言う生徒もいて、少し救われる気がした。
でもやはり「何かが違う・・・」と思わざるを得ない。
そもそも行政がこうして学生をイベントに使うことの是非から始まって、地域の為と称して強制的に参加させることの意義がどうなのか分からない。
観光業界、販売業者の利益に繋がるためのイベントに、教育を受ける身である学生、生徒が協力させられ、その送迎をしなければならないのは「親」である。
唯でさえ不景気の時代、こうして子供を通して間接的に、どこかの業界団体に何となく利用されてしまう理不尽さを感じるのは、私が余りにも個人主義だからだろうか。
むかし、何かのイベントや祭りのときは学校が休みになって、私たちは喜んでその祭りやイベントを見に行った・・・が、そこでは、どちらかと言えば地域や行政が子供たちに何がしかの振る舞いをしてくれている様相がみえていた。
しかし、現在の状況を見るにつけ、どうしても子供たちが地域や行政に協力させられているようにしか見えないのである。
この吹奏楽部の生徒たちもそうだが、自分たちの演奏を1人でも多くの人に聞いてもらいたい、と言う意思から自分たちで決めて市のイベントに参加した様相ではなく、上からの指示で・・・と言う感じが拭い去れないし、こうしたことは小学校、中学校でもあるだろう。
確かに地域に貢献する、国に貢献すると言う意識は大事だが、それは断ることが出来ない立場の者に、上から押し付けて言う話ではなく、個人が自発的に思うこと、感じることだ。
学生生徒の本分は「学ぶ」ことであり、少なくとも権力は彼らにその本分を保障し、何かも与えてやらなければならないのであって、彼らの力を当てにするようなことでは寂しいのではないか。
高校生の頃だったか・・・。
村に伝わるという○○音頭と言う踊りを継承しなければ、と言う気運がこの地域で高まり、もともと踊りなどなかった適当な民謡に、どこかの先生がをつけた踊りを付けて、婦人会、青年団と言った人達の指導のもと踊らされたことがあったが、志村けんの東村山音頭の踊りとそっくりで、「こんな格好の悪いもの、踊れるか」などと思っていた。
そして極めつけはこの踊りを文化会館で披露すると言うことだったのだが、この当日私は嫌で嫌で心底腹が痛くなった・・・しかし無情にも連行され、揃いの浴衣に祭り手拭い姿で踊らされたが、以後演歌、地方民謡が大嫌いになった。
この当時の婦人会や青年団の人達、今はもう現役を引退し、ついでにこの訳の分からない○○音頭も誰も歌わなくなったし、踊らなくなって久しい・・・。
この世界的な経済の変革期にあって、我が市でもこれから国や県に訴えて、少しでも多くの仕事を貰うべく、全市、いや全市民一丸となったご協力をお願いするものであります・・・。
今年になってまた1億円を超える箱物を着工し、更にまだ公共事業を貰うために皆さん頑張りましょう、と言う市長の言葉である。
その頭の上をカラスが飛んで行ったが、やがて我が村の○○音頭のようにならねばいいのだが・・・。
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