グレーの制裁

その会場は怒号の渦と化し、我先に意見を言おうとする住民で異様な熱気に包まれ、隣に座った者と口々に不満を言い合う者、はたまた下を向いてため息を付く者、憤懣やるせない顔の者達で騒然となっていた。

「そんなことをして俺たちを騙そうってか」
「責任はお前が取るのかバカやろう!」
「一体何を考えているんだ、何か悪いことをしようとしてるんじゃないか」
口々に責め立てる住民の声に、だんだん声が小さくなってなっていく区長の話に、住民たちは更にまくし立てる。
区長は恐らく針のムシロに座っている心境だったろうが、これはこの地区全体で補助金の不正流用をしようと言う会議の現場だ。

話はこうだ、この地区から選出されていた市議が今期で3期目が終わり、年金がついたので次期選挙には出馬しないことになった、そこで今までさんざん選挙では世話になった歴代の区長、農事関係の役員に「お礼」がしたい、歴代の区長や農事関係役員は大工や水道工事を仕事にしているものが多い、ここは一つ何か建物の仕事でお礼をしたほうがいいだろう・・・と言うことになった。

そこで目を付けたのはこの地区の会館だった、これを改修して広げ、その仕事をこうしたお世話になった関係者に振り分けようと考えたが、肝心の予算をどうしようと言うことになり、たまたまこの地区に県から出されている農業振興のための補助金を使おうと言うことで話が決まった。

だがこの補助金、農業振興のためにしか使うことができず、万一他の事で使った場合は弁済義務がある補助金で、しかもこの地区の会館であれば、住民が均等に負担すべき予算が、このケースだと農業関係者だけで負担する形となってしまうのだった。
まあ、仕方ないがどうせ年寄りばかりだし分からないだろう・・・改修工事推進派には既に仕事を貰う予定の業者や大工も加わり、補助金は農業振興のため各農地所有者や農家に配ったことにして、額面の領収書を貰ってしまえばいい・・・などと言うことになった。

一昔前ならこうしたことに誰も異議は唱えなかっただろう、だが今では住民全てがバカと言うわけではないので、こうして説明会に回っていた区長が激しく攻撃されていたのである。

その手口は悪質なもので、住民達から額面記載の無い領収書を全員取り付け、補助金は配ったことにして、それまで無かった特別会計を作り、そこに金を入金すれば分からない・・・と言う計画、これには地元の市職員も関与して入れ知恵したのだが、住民の中には年に2度か3度しか使わない、しかもまだ新しい会館が必要なのか、とかそんなことしてバレたら弁済しなければならないのは各農家だぞ・・・と言う反対論も噴出していたのである。

だがこの補助金の不正流用・・その1ヶ月後には地区全住民の額面未記載の領収書が集まり、着工計画図面までできてくるのだ。

閉ざされた社会と言うものは実に面白い傾向があるもので、例えばどこかの村で村の金の管理をしている者が着服していることが発覚したとしよう。
普通こうした場合横領と言うことになるのだが、閉ざされた社会、田舎ではその事実は一般に知らされないうちに、村の長老や有力者の耳に入れられ、そのことについて長老達の会議が開かれる。

そして当事者と親戚などが呼ばれ、ここで着服した金を返済することが約束されると、それ以降は特に罪が問われなくなるのだ。
これは言い得て妙なシステムで、子供がいる者とかは、名誉が著しく損なわれてはこの村では暮らしていけない、だからこうして一般には知らされないが、その代わり長老の中から僅かに噂話として何かあったことは住民に知らされ、住民は着服までは分からないが、漠然と何かまずいことをしたんだな・・・と言うことは分かるシステムなのだ。

こうしたやり方を私は「グレーの制裁」と呼んでいるが、村のそれぞれの家は既に何代にも渡ってこの村で暮らし、昔この村を出なければならないと言うことは死を意味したのだろう。
だから殺人や放火などの重大な罪以外はこうして表には出さないが、少し評判が悪くなる程度の方式で制裁をしたに違いなく、何代にも及ぶ「家」の存続の中にはどの家でもどこかの代でこうした「グレーの制裁」を受けた経験があり、そのつながりの中で多少正義が歪められても「存続」と言うことに重点が置かれてきた歴史があるように思う。

そしてこれは何も田舎だけではなく、何代にも渡って政治家やスターが世襲していくような社会を見ると、日本全体がそうだったのだろうと思うし、宗教的対立があった地域、宗教支配地域でもおなじことがあると思う。

補助金の不正流用は実は「グレーの制裁」の裏返しなのだ。
地域に必要、有力者が必要と考えた場合、多少の正義の歪みは許される土壌が有るということで、こうした長い歴史を持つ地域では有力者はずっと有力者のままで公務員、または議員や役員と言う具合で、下々の者は未だにこうした者達に意見を言わない。その為にかなりの不正でもこうして通ってしまうが、こうしたことが通るもう一つの原因は「ギャンブル」と同じだ。

ポーカーで勝てるのは「金」を持っている方で、それはどうしてかと言うと、金が無ければ掛け金が吊り上って行った時、降りなければならなくなるからで、小さな社会でも「金」は依然としてこうした行政関係者がそのありかを知っているからである。そしてこのような不正が万一公に発覚すると出るのは自殺者で、こんな小さな会館1つのためにそこまでなることを考えれば、始めは反対でも最後は黙ってしまうのが普通であり、もしそれでも正義を通せば恐らくその者は「村八分」的制裁を受けるだろう。

全体でやった不正は正義になり、一般的概念の正義はこの場合、万死に価する罪となる。
なかなか素晴らしい全体主義だ・・・。
15年ほど前、市職員がこう話していた。
ちょっと前だったら上から言えば全部通ったものだが、今は少しやりにくい、困った時代になったものだ・・・と。

私の知るドイツの若き哲学者の言葉・・・
閉ざされた狭い社会では傲慢になるか、卑屈になるかのどちらかである・・・。

大変申し訳ないが、この話もフィクションと言うことで・・・。
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