レンブラントの光

物の形とは何か、それを見ている人の目、その感覚とは・・・一体私たちは何をして物を物と見ているのだろうか。

1571年、レパント沖の海戦に勝利し、オスマントルコ帝国艦隊を撃退したスペイン、フィリップ2世は1580年ポルトガルを併合、「太陽の沈まない帝国」として君臨したが、その経済的基盤を固める為に引いた宗教的絶対主義は、ネーデルランド(オランダ・ベルギー)に起こり始めていた新教徒運動を弾圧し、こうした異端宗教者たちを宗教裁判にかけ、何万人と言う単位で焼き殺していった。

スペインの政治姿勢は決して成功したとは言い難いのだが、そのほころびの発端をオランダの独立運動に見ることができる。
スペインはカトリック絶対主義に反抗するプロテスタント(カルヴィン派)に対して専制支配による自治権の収奪、商工業貿易の圧迫などを行い、その支配を強めたが、ゴイセン(乞食)と呼ばれていた北部諸州(オランダ)のカルヴィン派は、オレンジ公ウィリアムを指導者に信仰の自由を掲げて独立運動を起こした。

その後離合散集を繰り返しながらフランスやイギリス、ドイツなどの支援を受け、1609年スペインの無敵艦隊の敗北やフィリップ2世の死などにより、オランダとスペインとの休戦協定が成立、事実上オランダは独立した。

長々と歴史を書いたが、そう今夜はこの時代に生きた「光」レンブラントの話である。

オランダが事実上独立した年の3年前、1906年レンブラント・ハルメンス・ヴァン・ラインは誕生した。
小さい頃から彼が描く肖像画、主に家族や自画像だったが、これらはその表情がとても克明に捉えられており、こうした頃から彼の才能は外へ開いていたのだが、イタリア芸術が主流だった当時のオランダで、彼もまたこうした影響を受けた画家のもとで修行を積んだ。

やがて1631年レンブラントはアムステルダムへ移り住むが、その3年後1634年、オランダの名門の娘サスキア・ヴァン・オイレンボルヒと結婚する。

エルミタージュ美術館にはこのサスキアを描いた作品が残っているが、ローマの春と花の女神、フローラの姿に重ねて描かれたサスキアのなんと可愛い、なんと美しい姿よ、愁いをおびた婦人が恥ずかしそうに胸の辺りに手を置いた表情は、卑しいこの身には余りにも気恥ずかしく、隠れてしまいたくなるほどである。

またサスキアが着ている布地、手を触れればその質感が伝わるようであり、戴冠した花輪の今外から摘んできたかのような、みずみずしさ・・である。
レンブラントがいかにこの若い妻を愛していたか、痛いほどに伝わる作品だ・・・が、しかし1642年、自警団の要請で描いた大作「夜警」を境にレンブラントの運命は反転していく。

当時記念撮影のような平板な描き方が主流の時代、レンブラントはその人物の1人ひとりがまるで画面から抜け出るような表情、自由な動きを持った姿で描き出した。
後世この作品はレンブラントの代表作ともなるのだが、一般的にはこうした流行を無視した描き方は敬遠され、この絵を境に彼の人気は下がっていったのである。

そして最愛の若妻サスキアもこの年天国へと召されていった。
その後もレンブラントは当時の流行とは無縁に、自身のもつ光の描写に磨きをかけていくが、1649年に生涯最後の伴侶となったベントリッキエに支えられながらも1656年には破産、1669年、ユダヤ人居住区の片隅で貧しく、人々から忘れられたまま死んで行った。

レンブラントの作品は油絵500点、版画300点、100近い自画像と素描に至っては2000と言う作品が残っている。

彼が描こうとしていたものは何だったのだろうか・・・。
人は何かを見るとき、それが光の反射光だと言うことを意識してはいないが、実は全て目に見えるものは反射光なのである。

例えば人の肌ならそこに光が当たって反射したとき、僅かだが人間の目には実際に肌から離れたところにまで散った光が見えている、だから人の形は明確な境界線を持っていない。
そして刻々と変化する光による反射光はその表情にも常に変化を与え、動きにも微妙な揺らぎが出てくる。

だからレンブラントの描く人物たちは、近づいてみると写真のような全く非の打ち所がない、と言うような緻密さではなく、むしろいろんな色が混ざった勢いのあるタッチになっている。
近年流行している写真のような水墨画を思い浮かべるといいだろう、あれは確かに凄いが「感動」が無い、唯緻密であること、物理的整合性があれば良いかと言うとそうではなく、人の目は不安定なものなのである。

[写楽]の人物の手は物理的に見れば描かれた人体に対して大きすぎる・・・が、人の目は手前にあるものを実際よりも大きく捉えるし、写楽の場合はその手によって感情が表現されているからである。

だから物理的に間違いが無いから正確で綺麗か・・・と言う質問はそれこそナンセンスで、絵でも物でもどう見えて、どうそれを表現するのかが大切なのであり、レンブラントは持って生まれた天性で「光」を捉えることができた人だったのである。

彼の目はそれが闇であっても濃淡があることを見ていた、その闇の僅かな光にある小さな突起、その突起によって先に広がる全ての光景が変化していくような世界を持っていたのだった。

最後にレンブラントの中で私が最もお気に入りの1枚、またエルミタージュだが、「ダナエ」を紹介しよう・・。

1630年ごろに描かれたとされるこの絵のモチーフは、ギリシャ神話から来ているものといわれているが、アルゴス王アクリシオスの娘ダナエは信託で、いつか王を殺す子を産むだろうとされていた為、王は地下に青銅の小部屋を作りそこにダナエと侍女を付けて閉じ込めておいたが、最高神ゼウスが彼女の魅力にとらわれ、黄金の雨に姿を変えてこの部屋に忍び込んだ・・・と言う話である。

レンブラントはこのダナエをベッドに横たわり、右手を上げてゼウスを呼ぶ裸婦で描いているが、普通こうした場面ではこの世の者とは思えないほど理想化された美人が描かれそうだが、彼は普通一般的な女性を描いていて、その顔の表情、手の動きが絶妙なのである。

愛しい人が訪れたことを知ったダナエは手を伸ばし、まるでわずかな時も惜しいと言っているようだ、またその一瞬にしてほころんだ顔はあたかも花が開く瞬間であるように、暗い部屋にろうそくが灯ったように・・・なのだ。

この絵に関してはダナエと言う説以外にもいろんな説があるが、レンブラントは肖像画のほかに多くの宗教画も描いている。
独立を勝ち取ったキリスト教新教徒たち、レンブラントが描く宗教画の人物たちは皆人間的弱さも描かれている。

彼の体の中には、宗教弾圧によって死んで行った多くの人たちの思いが、宿っていたのかも知れない。


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